スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

イヴァン イリーイチの死  1886年    トルストイ作

イヴァンというより、イワンと簡略させていただきたいーこの作品は、二、三年前からすでに息子たちから聞いていて、面白いというような批評を得ていたが、読むのは躊躇していたーロマンロランのトルストイの生涯という本を先に読んで、このイリイチ様の話は、ロシアの各地でも大評判を取った作品であると書いてあったので、益々重く感じて近寄りがたいものになった。

 

普通の、いや高級国民的な位を持つ高官の話。裁判所に務める判事様だ。重苦しい事件も、手際良く解決してゆくイワンは我ながら、有能で如才ない高級な男であった。お付き合いも上手で申し分のない高級な人々との交わりもスイスイできて昇進も思いのままといった風だった。

良いところの美人の娘と結婚して子供も数人で来て、順風満帆の快適生活がそこにはあったのだが、原因不明の病気にかかって以来、彼の心持ちはスッカリ変わってしまった。

主人公は食事前に唐突に大きな癇癪を起こすようになり、家族は顔を顰める。

トルストイは、一見幸せに見える家庭の中を描いて見せ、読めば自分たちにそっくりな人物達に苦笑するしかないのだが。とくに、子供ができてからの美人の妻は、性格が崩れ一日中 小言を言って、主人公を悩ませる。イリイチは仕事の蓑に隠れて妻と距離を取る作戦に出る。病気でも何かと仕事には出ていた。

どこにでもあるだろう家庭内の危機を描いているのも一興だ。如何しても昇進したい主人公は涼しい顔で、思う通りに上り詰めてゆくのだったが、それもこのおかしな病気迄のことである。

何でも思い通りに人生をやりこなしてきた彼には、この病気ぐらいすぐ治るだろうと、楽観視していたのだが、何故だか、とにかく、本人の意思とは反対に、体はおかしなふうに変化して行き、何人ものお医者に見てもらったが。治らないのだった。

昼夜ジワジワと攻めてくる痛みに苦しむ彼は、じぶんの存在の儚さを初めて知り、死の恐怖に怯える。くちびるを噛み締め孤独と闘わざるを得ない昼夜であった。今までの順調な人生は何だったのかとふと思っている間にもまたしても

苦痛が襲いかかる。不気味文学作品というよりも、ドキュメンとのような恐ろしさ、そして不毛さはなかなかに御しがたい。

絶望的になってしまう主人公と読者。

いつになれば、どうすれば、彼に平安が訪れるのか…。益々混乱を極めて行き、だんだんと衰弱してゆく。この辺りの描写は、あまりにもリアリティに富んでいて読んでいて耐えれないという気がする。なぜトルストイはこんなにも残酷で人間的な作品を書いたのか。疑問も生ずるほどである。

コレが文豪の作品か?実は失敗作なんじゃねえの?

絶望的な気持ちになってしまうが、コレが現実だという事は人間誰しも分かっている。

我々人間は汚泥の中に足を突っ込んだまま生ている芋のようであり、それにも気づかずに、死が迫って初めて汚泥の中の芋(芋)のような自分に気がつくという筋書きなのか。考え方は人それぞれだとしても、平凡な日常で、自分の死のことを考えている人はほぼいない。死の影の下に入る迄は。

この作品はある個人の死であるが、自分自身のものとして捉えてしまうと現実的に描かれていて、過激であって、読むに耐えない

コレは直視出来ない死というものに戦いを挑んだ、ある一市民の記であると断定して、この章を終わる。