朝、掃除をしながら、テレビで見たのが、この事件だ。その後、テレビでは一日中、この事件についてのことばかりが流れた。
あれから27年の年月が過ぎた。地下鉄にサリンを撒いた主犯格の豊田亨についてNHKは調べていた。
彼は凄い秀才で、東大の3%の物理学にはいり、さらにそこから5%の狭き門の核分裂を扱う研究科に入る。
スポーツもでき、知的な洒落も飛ばすなかなかのナイスガイだったのだ。ノーベル賞とりますとか言うこともあったという
ところが、突然に退学をする。豊田はすでにオーム教のヨガ道場に通っていた。
彼は、彼の学歴実力などから核爆弾実験の中心的人物となっていた。彼ならさもありなん。
サリンを撒いたり、選挙で踊ったりと、オウム麻原の超側近として重用され、顔も麻原とそっくりになっていた。
刑務所に面会に行ったのは東大時代の研究者たち二人だった。許されたのはこの2人のみ。
同じ研究室で、物理学を極めようと切磋琢磨し、同じ科で勉学に励んだもう一人の研究者もいた。
既成の勉強に励んでも、結局は、大きな壁が立ちはだかるのが学問である。そのとき、豊田は、心中で、悩みぬいていたのかも知れないという。だが、秀才と謳われた彼は弱味を見せることはできないでいた。
そこに、神秘主義の麻原から、よい解決法があるよと、
聞かされて、彼の偽りの真実を信じ込まされた豊田。一度信じると、麻原を盲信してしまった。
オウムは正しい。麻原はまさに正しい。と、思い込んだ。
あれだけ客観的な見方を持っていた人間でも弱みのすきにつけ込まれて最後となった。知性と、感情とはばらばらなものなのか。
人間の知恵で、この宇宙の全てを知ろうとしてもやはり限界というものがあるだろう。
物理学の限界を超えたものがオウムにあったのだろうか。否。
結局、コロナにしても何にしても、おかしな虚言を信じて、あり得ない方向に行ってしまう人々がいるということだ。
科学的な知識がなくても、人間として生きるにおいて真偽を嗅ぎ分ける能力がなければ、健全な生き方はできないのだと、知人の一人
岸田一隆(教授)は述べた。この事件をきっかけに、岸田は東大の物理学を降りて、別の道を模索することにしたのだった。