スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ハンナ アーレント  2012年  マルガレーテ・フォン・トロッタ監督  バルバラ・スコヴァ主演

ドイツユダヤ人のハンナ アーレントは、フランスの抑留所から逃れ、アメリカで暮らしていた。政治哲学をアメリカの大学で教え、本も既に出版されていた。ただ世間では、女だてらに強気で、心の無い人間と陰口もあった。

特に、アイヒアン裁判を見て、アイヒマンについて書いたニューヨーカー誌の記事は、とても不評で、非難轟々であった。

大学もクビになり最後の授業を行うアーレントであった。背筋を伸ばして講義をしたが、内心動揺していただろう。

アイヒマンは、人間を捨てた既に人間ではなく、ただヒットラーその他の命令に従っていただけだった、と言う。

彼は実に平凡で凡庸な人間で、じぶんで思考せず何も持っていなかった。それは彼に罪はないと言う事だと、民衆は受け取り、皆がハンナを責め続けた。ユダヤ人のハンナが、この大罪人を許したのかと、誤解されていた。自分の命が危ない時に、同胞を敵に売っていたユダヤ人たちがいたと書いた事でも、同じように誤解されてしまった。この問題も難問であると言っている。

なぜなら、アーレントは人種で、人間を区別したりしなかったので、この問題が生まれてしまったといえよう。ユダヤ人のみを庇ったりしないのだ。

未だ嘗て無かった罪を犯したアイヒマンを裁くべき法律は存在しないと、アーレンとは言う。人間を超えたかつて存在することのない罪であったから、裁く方法がないとまで言った。

だが、凡庸な罪人などと言うことがあり得るのか?判断は難しかった。大虐殺は、思考をやめた人間の、人類全てに対する罪とも思えると、言っている。

これは実際に、エルサレムのアイヒアン裁判を傍聴した彼女がかんがえ抜いた言葉であったのだろう。

アーレントはフランスがドイツの圧力に抑えられて、抑留中、耐えに耐えたが、最後には、限界を超え、もう死のうと考えたそうだ。彼女には一緒に耐え抜いた同志の男がいたーハインリッヒ彼のためにも生きていなくては、と思ったそうだ。

そこから逃げ遅れた残りの人々は皆殺された、とある。運が強い人である。

「思考」によって人は強くなれる、生きて行く勇気が生まれると、ハンナは言っている。

大学で、ハイデガーに見初められた才女であり、恩師のヤスパースが彼女を支えた。

 

この映画は、アイヒマン裁判を中心に描き、最終的な判断は、我々に委ねられている。そう言うエンディングだった。