彼はうまく喋ることもできず、字も書けず、自分の名前さえ言えないある1人の障害者であった。
監督は彼にラグビー部の世話係をさせた。彼がここに来てから生き生きとしてきたのは
誰の目にも明らかであった。いつもラジオを離さない彼は名前をラジオと呼ばれた。試合があるたびにいつも一緒に出て応援した。
監督にはある過去があった。虐待を受ける障害者たちの境遇を知っていた
ラジオに出会った時、放ってはおられなかった。
字も書けない知能障害があったが彼はいつも明るく自分のできることを一生懸命やると言う長所があった。学校の生徒たちもラジオを見ると何故かほっとするものを感じるのだった。
知能障害者などの人間を施設へ送るために審査する人がやってきた。ラジオはいろいろ問題を起こしている。だから施設に入れなければならないだろうと言うのだった。監督は真っ向から反対した。
優しかったラジオのお母さんが突然心臓病で死んでしまった。
障害者は1人では暮らせないとみなされ施設へと勧誘されるのである。しかし人間であれば、誰が施設などに行きたい者があるだろうか。
あなたは施設で暮らせますか?何十年も家族もなく、夢もなく、希望もないまま壁と天井を見て暮らせますか?
これは実話だったので、50歳になったラジオは、現在も元気に高校生活をおくっている。
学校も、当局も、彼が、ずっと高校で過ごせる様にしたのだった。
ラジオを演じた俳優は、もちろん障害者ではなく普通の俳優である。
障害者の特徴をよく勉強していてさすがだな、と思った。
我々は身近にそういう人がいたならば、彼らに多くのことを助けられている場合があることに気づくだろう。だが、残念ながら、本当に手を差し伸べることはとても困難である。