前半は、分かったが、後半は皆が早口で喋ることになり、本で読んで分かっていたが、いったい
シェイクスピアの演劇は、は、早口で喋ってばかりで、面白くもないものだ。
ゆっくり、本を読んだ方が、二倍以上面白いものに。
そもそも、シェイクスピアもそれを望んだのではないのか。あんな長い文句を舞台の上で喋るのは、無理というものだ。
シンプルに動き、アクセントを作れば、筋書きだってはっきりしようというものだ
なぜあんなに、しゃべくりまくるのか。だめジャン。
皆が白い衣装で、それはよかった思った。結構斬新であった。
主役の、吉田は、髪を金髪か茶髪にしたほうがよかったかも。まあ、自分の容姿に自信があったんでしょうね。でも舞台ではね、やはり、そのままでは映えません。
藤原も化粧を施して役に陰影を作ってもよかったと思った。
こんかいは哲学者役の藤原が、何か冴えなかった。哲学者なんて、いい役であったと思うが。
元老院の裁判で、重い罪になり、アテネを追い出されたタイモンは暗い森の奥深くに住んで、世界を呪い続けていた。
タイモンに最後までついて来たのは、誠実な執事だけであった。
「善良なタイモン様」という呼び方である。これがタイモンの本性でもあった。
善良な気持ちのみで、施せば、人と仲良くなれて、兄弟のように分け隔てんなくおつきあいができる。
施しは、いわゆる、タイモンの善良さと無知から出ているのだ。
だが、意地の悪い世間の恐ろしさを、知らず、子供のように純粋に人にも同じような善意を求めていたらしい。
彼は自分一人で、こんなに財を持っていては、皆に申し訳ないなんて思っていたのかもしれない。
タイモンの気持ちが分かる人間は少ないだろう。
まして大きな財を持っていながら、自分を統制して、しかも世間とも理性を失わずに折り合うなんていうことは、凡人にはできないだろう。大きな財を持ちながら、病気になるか、身を持ち崩すか、最後には破滅を呼び込む人は、多いと思われる。財に飲み込まれてしまうのだ。
リア王などとは違って、お金を主題にした現代的な物語を、書いたシェイクスピアは、やはりすごいんだ。
だから、難解な作品だと言って、茶化してはダメよね。
タイモンは、罪人となったが、タイモンのしたことは、そこまで許しがたいことであっただろうか。
タイモンは人を喜ばせたいがために、ワインの樽の栓を抜いてしまった。
ワイン蔵のワインは、小さな穴から、知らぬ間に、皆んな無くなってしまったのだ。