神官は、ここらで一つ聖人に会いたいものだと思っていた時、気づけば
年取った翁と嫗が、浜辺をはいてきれいに掃除していた。
なぜここで、浜辺を掃除しているのか、見れば、とても歳をとっているようだが、と問うと、
松というのは千年の寿命を持ち、
翁が、古今和歌集の例えにもある相生の松というのが高砂にあり、まさにこの松が、その相生の松であるよと教えた。ではもう一つの松はというと、それは大阪の住之江に生えている、と言った。
高砂と住之江ではとても離れていて、山川国をまたいでいるではないかと、神官が問えば、
「この二つの松は1000年も前からあって、今だに緑の葉の濃い松で、相生の松と言われているのだ。
この二本は離れていても相生の夫婦松であるよ。」
ハッとしてみれば、翁と嫗はまるで、松の精の様に見える。
いやきっと、相生の松の精であろう。だからこの様にものすごく歳をとった老人の姿で現れているのだ。
ありがたい事だ、と心から喜んでいると、二人は船に乗り込んで月の浜を住吉に向かって出ていったのである。
この時のの驚きと喜びを神官ががうたう「高砂やー」というのが、祝いの歌となった。
住吉では、住吉の神が勇ましく出てきて、この国の土も草も、また樹木もみな君が代の持ち物であり、
中でも、この相生の松は特に万木の中でも素晴らしく、千年経っても、朽ちず、うつくしい松の枝が
みずみずしく、嬉しいものだ。と言って喜びの舞を舞って見せるのだった。