1923年の関東大地震後、第二次世界大戦に進んでいくのだった。
その頃、堀越二郎という若い男がいた。
彼は帝大の飛行機設計の研究にたずさわっていた若者であった。彼は実在の人であり、堀越という苗字と、堀辰雄という作家とが重なっている物語である。
「風たちぬ、いざ生きめやも 」 (めやも)というのは,できるだろうか、いやできはしない。という反語を含み、おかしな解釈となってしまう。いや、出来ぬかもしれない、ぐらいの意味であろうか。
大人になって国の航空機作りの場に入る。
ここで、アメリカなどに負けないような零戦、雷電などの戦闘機を作るようになる。
その頃、教授の娘と知り合い、婚約するも、彼女は結核に侵されていて、山のサナトリウムに入院してしまう。
悲しく、短い結婚生活であった。
彼女は血を吐き若くして死んでしまう。堀辰雄の、原作でも、やはり、女が、結核で死ぬ話だ。
愛し合いながら、病気のために引き裂かれる若い男女が描かれている。軽井沢での出来事だから、お金持ちのお嬢さんだな。
堀越は、子供の頃から空を飛ぶ飛行機に異常な興味を持ち、大学中もその研究をして国の機関に入ったエリートであった。
国はかれに戦争に使う飛行機を作ることを命令した。
同盟国のドイツにも派遣され、航空工学を見学して、日本がまだとても遅れていることを見て来たのだった。
飛行機の仕事に、人生を捧げた彼であった。彼の心にはただ子供の頃の純粋な楽しい夢を叶えるためのものだった。だが、それが、戦争に利用されたのだった。その憤りと虚無感は、大きい。
監督が、強い反戦の意味を込めて、この作品をを作っていることがわかるし、レクイエムである。
全体的に何かとても暗く、大きな力を持って迫ってくる、作品である。つまり圧倒される。
彼が設計した飛行機たちは、戦争のためのものであり、すべて帰ってこなかった。
美しい飛行機たちは、ただ、ただ、黒い戦火のためのものであった。その虚しさが、大空を突き抜けてとんでいく。
死んで行った妻の夢を見た。広い平原で、手を振る彼女。
「生きていてね。あなたはいきるのよ!」と彼女は言った。
少なくとも、1人の女を死ぬ前に、幸福にした。
戦争の中、忙しい仕事中、彼は、彼女の夫であろうと努めたのだった。
いざ、生きめやも。
デカプリオの、エイビエイターという映画があったが、これも飛行機に イカレタ男が描かれていた。飛行機の話ってなぜ、イカレてしまうの?
プルコルハルムの青い影という、曲にそっくりな松任谷の曲、あのプルコルハルムの不可解な歌詞は、今も不滅である。
the shade of pale である。なぜこんなにも似ているのか、ということだ。
the whiter shade of pale だったかも。