today’s art と名付け得られたこの本…岡本は、人生を面白く生きようと一生懸命だったに違いない。
また綺麗とか、上手に書かれた絵とかそう言うものは、芸術ではないと、はっきりと言っている。
その人の人生そのものが、いわば芸術であるのだと、これはかのジョンレノンもおなじことをいっているのだ。だれだって芸術家なのだと。
また、外国から見た日本、日本から見た外国とは、どういうものか、かなり長くヨーロッパにいたので、彼の西と東から見る世界観には信頼が置けるであろう。
日本に帰国してからも、その勢いは衰えず、美術を通して意見を述べたり行動したりしてきた。日本の秘法と言われる美術品の多くが、庶民には見ることが出来ないと言うことを嘆く。
一般の人々も皆が絵を描いて、心を解放させるのが良いと言っている。へたな絵だからだめだとかではない。上手な絵などというものは、いわゆる職人芸とでもいうものである。
上手な絵は、何故だか心から感動できないものである。どうだ、うまいだろう!と、絵の中から聞こえてくるようだ。
逆に理解しにくい絵とかにひかれるものである。
人が要するに、心を解放しようとするとき、芸術に身を変えて羽ばたこうとするのではないのか。
腐敗した世界の海に一滴の何かだ。
自分をそこに塗りこめることができるのが絵画なのではないか。
みなさん絵を描こう、へたでもいい、そして自己を解放するのだ。
きっと太郎はそう言いたかったと思う。
20世紀になってやっと、セザンヌ、ゴッホなどが認められるようになった。彼らは生前、へっポコ画家として誰も相手にしなかったのだが。実はワテも、セザンヌのどこが天才なのかさっぱり分からんのだが。
文明が現代化して行く中で、モンドリアン、イヴ クラインなどの画家が、有名になってきた。
イヴクラインの絵は、青色一色を塗りこめただけのものもある。モノクロニズムというらしいが、
これが大当たりして 今ではこれを真似する人がとても多いとおもう。
モンドリアンは時として輝くタイプの図柄を書く。ある種の人間が着ると燦然と輝くから不思議だ。
時代の流れというものが価値観を変えていったのだ。
むかしは名工の作ったものがすごい価値を持っていたが、そんなもの、機械で大量生産できるようになってしまった。
機会のない時代は手作りの洗練された技術や細工が貴重で重要なことであった。それはとても精巧で美しいものというわけだ。機械のない時代は、名工の作品は貴重で高い価値を持っていた。
実に昔のものは、お盆にしても、茶碗にしても、優美で作った人の魂がこもったような作品がある。
作り手の持つ芸術性の広さ深さ、経験を訴えているかのごとくだ。そういうものを、時に見ることは情操的に必要だとおもう。
それはそれなりに価値があるはずだ。人には見せたくないほど気に入っている作品というものもあるのだ。それは自分だけに語りかけていると思われる作品のことである。
太郎はそうは言っても、心の広い人だから、こんな昔物を慈しむワテを許してくれるとは思う。
今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社知恵の森文庫)
- 作者: 岡本太郎
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