これは久々に、素晴らしい論文と出会った!
山本耀司のことを見ていたら、こんな本に出会ったのだ。
世相をとてもよく観ているわ。素晴らしいですね。
山本耀司の服は、学生らしくない、サラリーマンらしくない、芸術家らしくない、つまり、具体的なイメージが掴みにくい、なりきることを拒む服、それを今の若者が、崩して着る。そうすると、ギリギリのヨウジの服は、意味を持たなくなってしまうのだ。
そういうことを、奇しくも言っている。
このように、述べれる人は、なかなかいないだろう、と、わてはすっかり感心するのだった。
この方は、哲学的に? 世相のファッション、それを支える身体というものに、切り込んでいく。
切り込むという言葉はよくないかも、解明するとでもいうのか。まあ、哲学的に。
その考え方や言葉は、現代の我々によくマッチして、心のもつれを解きほぐすものだとおもう。
ゆっくりとした口調で語りかけるような感じだ。
裏返しの服、穴の空いた服、ぼろぼろの服はもうお馴染みになっている。こういうものは、特別驚くものでもないし、理解の内側に存在していると思う。問題は、理解できにくいデザインの服なのである。
哲学的解釈が必要なデザインの。 でもそういうものってほんとうにある?
今、住宅のデザインでも、とてもシンプルな部屋に若い人達がすんでいる。実はこれはわての理想でもある。物に取り囲まれて喘ぐように暮らすわての苦労はあまり知られていない。
一方、
なにも置いていない部屋。イメージが自由に一人遊びし易い部屋である。