数学者の岡潔が、口述して、このエッセイが出来た。
彼は風貌もなんか変わっている。
彼が子供の頃、家族は、時々引っ越している。孟母三遷といった意味である。子供の健康など考えたり、まあいろいろあったのかもしれない。
彼は昆虫採集などしたり子供らしい熱中した子供時代を過ごし、いろいろな物語を読んで情緒を培って言った。
そういう素地を持ちながら、学校では、高学年の頃の理数科の成績は抜群であった。やっぱりな。
正確な答えを求める彼の態度はゆっくりではあったが、だんだんと高度なものへと移っていった。
彼の中心には、文学、絵画、などの情緒いっぱいの芸術や、子供の頃熱中した昆虫採集の思い出などが詰まっている。
文学には並々ならぬ知識があり驚くほどだ。
数学を解くには、ノスタルジーが必要といっている。それはすごく主観的、かつ情緒的なものだ。
多変数解析函数 という難しすぎる問題に臨んだ岡は、よくノスタルジックな時間の後に、直感が光を探し当てたようになり、瞬間にして解けて行くものだと述べている。
我々には誰も手も足も出ないといったふうだ。
講義中に、黒板の前で考え始めると、固まってしまい最後まで動かずじまいで、学校からクビにされたりと、奇行もおおく伝えられている。
ただ教育にしても、彼独特の考えを述べていて、役に立つというか、胸が空くような意見だ。
人間についても洞察力があり、普通の人は人物が見抜けないのだと言っている。
人物を見抜くにはとても難しく、大抵の人が騙されるものだとも。
汚職の洪水にあえぐこの世にあって、本当は一体、誰がどうなのだと、わては思う。