「ヘタな人生論より良寛の生きかた 」 で知られるようになった松本の本。あと徒然草もある。
一休のことばが生きているが、ことばとか生きかたとか、なんとかなりませんかね。だって、かなと漢字がばらばらと混ざると、いろいろめんどくさくて、なぜかやりにくい。格好をつけたり、験担ぎにかな文字をわざと入れたのなら、ちょっと物書きとして許せない。長年編集長としてやってきて、なんだこのざまは。
一休の生き方とその頃の歴史が、ちょっぴりわかるのがいい。
一休さんは、とんちだけではない、つらい修行をたくさんしてきて禅の真髄を掴んだというわけか。
修行はやらざる得なかったものもある。たとえば、衆道の生臭さにも耐えねばばならぬ身であった。
当時女人禁止の寺では男同士で関係し、若く、美しい稚児は取り合いになる程だった。一休は多分別格に美しい稚児だった可能性がある。天皇の血筋とそれが選んだ美女の子であれば。
当時は美少年を集めた館さえあったらしい。これもお坊さん用にである。
寺の格を競い合い、僧正になるために恐ろしい企みが行われる寺のことを、一休はひどく嘆き、山の奥に隠れてこもったこともあった。
しかし天皇自ら山奥に手紙を出し、一休に、京に帰ってきて欲しい、我をみすててはならぬと書いてよこした。
それ程とても貴重な人物であったらしい。
女が好きで、男も好きであったが、何より歌を読むことに必死であった。懸命に作り、うぬぼれたりする。これではいかんと、自らを戒めている。
またたくさんの財を持つと、視野が狭くなり良くないとも。皇帝となると、先ず大きな宮殿を築き、そして国一番の美しい女を娶り、そしてまだ足りずに不老不死の薬を探しに行かせる。欲望は 欲望を生むだけである。
楊貴妃や日野富子の例を挙げて、女が権力を持つと、悪いことしか起きないと言っている。国を滅ぼす元にもなると警告をしている。確かに女の浅知恵というからな。フフフ。
このように一休という人を尊敬の念であらわしている。