難しいので、字面を追って読んだのだが、基本的にはユングの論と合致したもだった。(当たり前だが)
外交的人間の中の内向性、内向的人間のアンバランスなどである。私など極端な内向性だと思い、外交的な人達がうらやましくおもわれるのだ。だが外向性の人はバカばかりだとみくだすこともある。しかし大抵羨ましいからそうなるのだ。
2、3個の例を挙げてノイローゼの患者を紐解いている。患者はニッチもサッチもいかなくなっている。なんとかそのがんじがらめの状態から脱出しようと哀れにも、もがいているのである。
ところがノイローゼというのは自分の皮膚のように自分と一体のもので脱出するのが本人だけでは難しいのであろう。
患者の話を聞いていくと、なるほどいろんなことがわかってくる。まるでカラクリの中を一筋の光が進んで行くようである。
人間は欲望を達するためにはどんなことでもしていくものであると言う一面が映し出される。恐ろしいことだ。自分では意識に登るもののみ捕まえて行動しているように見えるが、やはり、闇に息づく無意識には逆らえないのだね。
まるでわたし自身の醜い心を暴かれたような気になった。
もう一つの例では、、男女共、大人になるためには、再生の儀式が必要である。子供時代の自分との決別である。 そして大人としての再生があるのだと。ある青年の例により説明されている。
夢によって現される事象の中にユングは鋭いメスでどんどん魚をさばくように切り分けてゆく。
まるで外科手術である。
躊躇ない判断と決断は天才心理学ゆえの技であると思った。
面白いことに、いわゆる病気や交通事故と雖も心の奥でずっと準備されてきたものであるといっている。いわゆる虫が知らせると言ったものも含まれるだろう。
これはそうだと思った。私も悲惨なニュースを聞いたりすると何故か最初から仕組まれたもののような感じさえするのだ。
難しいために、なかなか読み進めず、これは私が頭が悪いせいだろうと何故か学生時代のテストの悪い点など思い出していた。また「無意識」という言葉に引っ掛かり、イラついてしまい、家族にまで当たり散らしていた。何か心理学というのは虫の居所が悪くなるとことがある。
無意識というのは恐ろしいものとユングは繰り返し言っている。
患者や、犯罪者の苦しみは心の奥で準備され、気が付いた時は崖っぷちに立っているのである。
この本が、私の心の参考になると良い、そんな気がした。
ユング自身は、無意識下に降りて行き、死にそうになる経験をしている。身をもって心理分析をした医者であった。ふむふむ。
関係ないかもしれないが、
最近は悲しくなるとお経を読むことにしているのだ。
あの人はどうも苦手だ!嫌だなあとおもえば、怨憎会苦という言葉がある。憎い人嫌な人とも会う苦しみである。スッポコには嫌いな人がたくさんいるんですよ。