あの「ハートに火をつけて」come on baby light my fire というのか。この大ヒットをもつアメリカのミュージックグループである。1967年から1972ねんごろまで活躍した。ざっくりではあるが。
このグループの悲しい顛末。もしくはジム モリスンに関する悲しげな記録とでも言おうか。
この映画の語りはジョニーデップであった。
もともとモリソンは、コテコテと一人で詩を書いていた青年であった。孤独好き?
それがどう言うわけかグループに引っ張られ、そのヴォーカルを突然やることになった。
なれない彼らは始めはしょぼいものだったが、だんだんと人気も出て来て、light my fire ハートに火をつけてで、大ヒットとなる。この火は、消えることなく、大きくなる一方であった。
どこでも引張地ダコで、女の子からキャーキャー言われてどこに行くにも人垣を超えていくような身分になった。
いろんなプロモーターもつき、ヒットを狙った。
ヴォーカルのモリスンは野性味たっぷりの青年で、だんだんとふてぶてしい顔つきになっていく。
これが人気者のパーフォーマンスとでもいうのだろう。どんな表情をすれば、ファンも喜び、自分にも益があるかなんてちょと知恵があればサルでもできる。
アメリカでもヨーロッパでも人気グループにのし上がり、ビートルズよりカッコええと言うことになった。riders on the storm という曲もいいね。
ところがときが立つにつれてやはり才能の限界が現れてくるのである。
どれも似たり寄ったりの駄作が続くようになる。
その頃からモリスンは、ドラッグと酒にいりびたるようになり、シラフで舞台に立つ事はなくなっていく。
危機感を持ったメンバーらはなんとかしたかったのだが、いろいろなオファーが来るので、ステージに立ったり、ツアーに出たり、録音に入ったりと休む暇もなかった。
そんな中で、モリスンはますます酒浸りとなり、ドラッグで倒れそうになったまま、ステージに上がる日が多くなっていった。
彼のステージは日に日に過激になり、ファンはますます過激に喜び、最後には、モリスンは
自ら下半身を露出するという暴挙に至り逮捕される。
ただ、誰も彼の下半身をみたものはいなかったのだけど。
若者をダメにするグループとして非難の的にされた。
彼はこんなことをしたくて生まれてきたのじゃなかった。
彼は自分が詩人であることにプライドを持っていた。友人が詩集も出してくれた。
そういう人だから、有名になるほど、才能がない自分が許せなかったし、世界から見放される大きな不安もあったのだとおもう。その戦慄するような不安の穴埋めにドラッグと酒に溺れたのだ。
もちろんグループの一員であったが、他のメンバーは彼ほど深刻にドアーズの行く末を考えてはいなかったのだろう。モリスンのあの声、あの肉体、あのパフォーマンスあってのドアーズだったのだから。
彼は、気の毒にも、コカインも所持するようになり、もう、正常、所謂健康な生活に戻れる道はもうなかったのだった。
咳の出る病にもさいなまされるようになり、医者から酒を止めるように言われた。でも、時は既に遅すぎたのだ。
恋人のパメラとフランスに逗留中、風呂の中で息を引き取った。享年27才。彼を狂わせた熱狂のミュージックの世界はそれほど過酷なものであり、魂を破壊される危険があるという事だと思う。ビートルズとの大きな違いは、彼らは、後ろ盾が大きかったことだ、反対にドアーズは大きな後ろ楯に護られず、自作自演が多かったのではないのかと思う。世の中の汚れた忖度も知らぬ子羊だというわけだ。