紙の辞書の話。どこかの出版社に勤める松田はちょっと冴えない社員だった。営業とかはいつもダメダメで、彼には向いていなかった。
そんな彼を見て、辞書つくりの会社が引き抜いていった。彼のような人間はきっと辞書つくりのような地味な仕事に向いているはずだと見抜く。
辞書作りは、とても地味で、コツコツと言葉を何万何十万と集めていく仕事である。まさにあの紙の文字はどうやって作られたものであった。何年もかかる仕事、何十年もかかつ仕事であった。
それを飽きずに、ずっと引きずっていく目に見えぬエ ネルギーが、必要とされる仕事であった。
これはまさに、松田ににつかわしい仕事であった。
彼はオンボロの安下宿に住んでいて、確かに、ひと時代前には、このような古い物件が多数あったものだ。懐かしさをかんじるであろう。時代は1995年とあってなるほどとおもう。
その下宿に大家の孫娘がやってきて住むことになり、彼の生活は一変する。娘役は、自称?美人の宮崎あおいだ。彼女に恋するあまり仕事が手につかず、仲間にも、恋してることがバレるほどだった。
我が恋は色に出にけりであった。娘は女だてらに、板前の仕事をしており、松田にも色々作ってくれるようになる。宮崎あおいが、台所で 料理!?。しかし、女優はなんでもこなさねばならぬのだ。結構サマになっていた(クスクス)。
そして、松田の会社の編集長の加藤剛は、なんかづごいじしょをつくることを明言するのだった。
「大渡海」ダイトカイ というトンチンカンな名前の辞書であった。
すでに電子辞書も多数出ているじだいであった。
今更新しい辞書など必要ないのではないかという声が多数ある中、あえて辞書を作り出そうとする加藤編集長であった。
これには、松田が中心になって進めて行くことになった。長い長い月日のかかる仕事であった。
大手の出版社を抑えたりは営業の人がやってくれた。
あとはもう、アリのように一つ一つをっやっていくだけである。やらなければ、辞書は編めないのである。
10年が経ち、すでに2005年になっていた。松田と宮崎も結婚してお互いの仕事に精を出している様子だ。
やっとの事で、辞書の目鼻がたってきていた。そしてとうとう最後の仕上げにかかり、大勢のボランティアが泊りがけでワッショイワッショイと、やり上げて行ったのだった。
松田は、言語学を専攻していたので 後輩たちがきてくれていた。自分たちの勉強にもなりことなのでと。
そんな事で、出版に漕ぎ着け、世代を超えた立派な辞書が出来上がった。編集長の加藤は既に、亡くなっていた。
まさかとはおもったが、やはり辞書はたくさんの人の手による沢山の時間を使った手作りの品物であったのだ。
まさに言語の文字を編むとでもいうべきか。それを舟に例えたのだろう。
スッポコは、特に紙の辞書に愛着があって、いまでもお気に入りの英語の辞書を大切にして、布袋に入れて、枕元とか テレビの横とか車の中とかにも置いてるんだ。バカみたいと思われるでしょうがね、何かの時の、武器や、エアバッグにもなるかもよ。