河瀬のフランス映画ということになっているらしい。場所は、奈良らしい。奈良にはこんな平たい里山が豊富にあるってことか。行けども行けども笹や細目の木が生い茂る雑木林である。
ヘルパーの真知子(尾野真千子)はしげきさん(ウダシゲキ)というお男の世話をしている。彼は若くして奥さんを亡くしていた。
その後認知症を発症したのか。一方、真知子の方も、幼い息子を亡くしていてまだ傷が癒えていないのだった。自分の不注意で息子は死んだ、と夫からも責められていた。こんなこと周りから言われてたら、たまらんで。
さてうだしげきことシゲキだが、この人が老人の中では一番若く殆ど老人ではない。周りはヨボヨボなのに、シゲキだけは、筋肉もついていて、動き方にむだというものがない。
コリャア、おかしげなことだわ。
ある日、アウトドアーが好きなシゲキさんのために真知子ヘルパーは、車で外に出ることになった。
ちょっと、そこまでのおでかけのつもりだったのだが、道が消えた場所で(これ、田舎ではよくあることです。)車が動かなくなってしまった。車輪が、溝にはまってからまわりしてるだけだろう。
スッポコもよくこんなことになってSOSを何度か発している。いやーバツが悪いもんですわ。
スッポコの場合、いつも誰か来てくれて助けてもらっている。いやー運がいいのよ、わたし。
しかし真知子とシゲキの場合は、良くなかった。シゲキはどんどん勝手に逃げて行方不明になってしまった。驚いた真知子は、必死になって、探し回る。彼は、スイカ畑で、スイカを割って食べていた。
これは人間の手の入った畑であり、人工の範囲内にあったのだ。ここで終われば、なにも苦労はなかったのだ。しかし彼はまたどんどん勝手に山へ入って行ったのだった。そこはもはや、人間の手の届かないような、動物と遭遇するような山の中であった。いや、道はあった。これは人工の道で、人間が通るために作った人間道だ。ただ草木が深く生い茂っている。見ているものもだんだんと不安になる。
問題は携帯が圏外になってしまった事だ。これはもう迷ったという事なのか。
このような状況で、なぜか真知子は、シゲキに頼る。変な事だ。早く人間世界に帰らなければ、本当に迷って帰れなくなってしまうと、見ている者は焦りだすのである。
シゲキさんは元気で、どんどん歩くのである。ヘルパーもただそれについて行くのだ。
これもおかしげである。真知子は進み続けるシゲキさんを止めることもできないのだ。
ついには2人はシッカリと抱き合ったまま暖をとって一夜を明かすのである。これは大変な事に!
やっぱシゲキは只者ではなかったってことだね。
認知症の男とヘルパーが抱き合うなんてね!別に認知症ということにこだわりがあるわけではないのですが。だって、シゲキさんはなんか色っぽいし、結構いい男なんだな、これが。やっぱフランス映画なんで。
いやー、やめてくださいよ、監督。
その後、2人はそれぞれに亡くなった者たちのために、何ができるのかとか、生きている自分たちに何ができるのかとか、いろいろ考えて、回り回って、森の中で、涙を流し、心の浄化をはかるのだった。
ここまで来なければ、解決できない心の苦しみ、悩みというものが2人にはあった。
真知子は、ここに導いてくれたシゲキさんに、感謝して人間として生き返ることができたのであった。
スッポコは、この夏の暑苦しい森の中では、撮影などまっぴらごめんです。きっと虫にいっぱい噛まれるんだぜ。
トイレにもいかない、ご飯も食べない、お茶も飲まない。ちょっと2人とも、人間らしいところが省いてあって、へんなかんじ。それに実際の山は、こんなにヤワイ場所ではないとおもうよ。
監督はそれを、いとも簡単に庭を歩くピクニックのように描いている。これはそもそもまちがいだとおもう。
彼女は所詮、都会人なのだろうか。山はただの「手段」になってしまってるんだよ。
山はもっと切なくて、かなしいものだよ。