まず、ドリアン助川とは、川瀬直美監督とは、一体どんな方なのかという事だ。
川瀬は「モガリノモリ」を作った人だって、「そして父になる」も、ね。ふっーむ、なるほどだいぶん分かってきたぞ。「ドリアン」て真面目な人?名前が変だし。「直美」も、よっぽどだしね。
まあ、此の「あん」は、めっちゃ面白かったわ。どら焼き屋に現れた樹木希林のおばあちゃんが、何かあんこ作りの名人な訳よ。それで、どら焼きが、よく売れてバンバン売れるようになるんだが、
店長も、お婆も、訳ありでな。お婆は、若い時にらい病に罹り、園に隔離されて、長年過ごしてきた人だった。ただ近年病気が治癒したという事で外出が許されていた。初めての仕事は、どら焼きやでアンを仕込む事であった。
彼女の特徴は、なんでも耳を澄まして、小豆の声や風の声、いろいろなものの声をよくよく聞くというものであった。
彼女には小豆アズキの声が聞こえてくるらしい。ここまで来るのに、苦労もあったアズキ達であった。
お百姓に蒔かれて、雨や風やお日様に照らされた。土埃を被って目が見えない日もあった。
じりじりと暑い日にお百姓が来て草取りに来て、暑いもんだから、乱暴なことをして帰って行ったよ。
そんな事が、聞こえるらしい。いや嬉しいね。小豆は暑い時に蒔いて、草取り、収穫は、寒風の中って事で、よくぞ言ってくれたよ、婆さんよ!
スッポコやお百姓さんの苦労がこれで報われるわな、マジで。だもんだから小豆には意味が詰まっているんだとよ。
そういえば、映画で「米」っていうのがあるようだ。こんな題名怖すぎるわ。もち河瀬の作品ではないのだが、一体どんな映画なのかね。
米作りの苦労は数限りなく、ああ、ため息がでる。大変な事なんですよ。といっても、スッポコは菜園のみですが。みじかで見ていても、米作りのことはようわからんのよね。
らい病がバレて、婆さんはクビになり、園にかえった。
店長は其処を訪れる。
木が沢山沢山ある、広い林か森のような綺麗な場所が、その園であった。
店長の眼は、自分と同じ眼だというおばあさん。
ここに閉じ込められて、もう出られないと悟ったときの自分と同じ悲しい悲しい眼だと。
店長にも悲惨な過去があった。
ゆっくりとした語り口の樹木希林は此の映画で、会心の演技ができたとおもったことだろう。
樹木希林の孫の内田伽羅も、高校生役で出演。これも素晴らしい演技であった。顔はもっくんにそっくり。
生きている意味が、そこにある。 人は何かになるために生まれたのではない。風の音を聞いたり、花を見たりするんだ。それに意味があるんだ。生きている意味はそこにあるんだ。私の人生は無駄なものなんかじゃなかった。
婆さんは、園の木にもたれて、一人そう思うのだった。
生を肯定した
嬉しい作品となった。