おなじみの嵐山氏のエッセイである。午年の彼はいつの間にか74歳にもなっていた。だがヤンチャな感じは相変わらずで、老人は不良を目指すべきなんて、無理難題を振って来る。
物分かりの良いジジイを演じるときっと女につけこまれて痛い目にあうのが、常識である。
あのノーベルからはじまってハイネ、マルクス、エンゲルスと続きありとあらゆる歴史的に有名な人々が、なぜか年端もいかぬような女にだまさてしまう。あげくにアル中になったり梅毒になったりと
悲惨すぎる目にあうのだった。ノーベルらは多額の金を若い女に貢いでさらにゆすられつづけたのだった。作者曰く不良になって物分かりの良い老人になるべからず、といっている。
スッポコがかっこいいと思う不良老人は、断トツ「荒木一郎」だと思う。荒木も70代前半で、いつものポーカーフェースでニヤリと笑えば女はコロリというわけだ。いつまでも色気を失わない不思議な人である。わたしゃ荒木が好きなんだす。最近また本もだしたらしいすよ。ま、いいか。ネットで愛しのマックスを何度も聞いてしびれましたよ。まっ いいか。
それで結局嵐山はこの自分の本で何を言いたかったのか。取り留めもなくダラダラと行き当たりばったりのこの布陣は、やはり歳のせいであろうかとも思える。だが、こういうのが彼独特のストレスレスのやり方なので仕方ないといえばしかたないのだ。だが、これではとりとめもなく酒場でウダウダしゃべっているのと同じではないかと思っている人は 、文学部出身の彼のことも文学のこともよくわかっていない人だともいえるのである。もちろん何もかもが揃っているというわけではないが 彼は文学なるものを愛しているというのがスッポコには伝わって来るよ。週刊朝日のコラムもけっこうおもしろい。
彼には何かしらの独特の自信に裏打ちされていて活気のある文章で読者に中位のうまい料理を食べたようなちょっとしたお得感を与えてくれる。寒々したところで、取り澄ましたまずいパスタを食べるよりは随分ましだなようだ。