映画 東京物語での彼女の出演はすばらしいものがある。耐え忍ぶ老女の役であった。平凡な、あまり洗練されていないモゴモゴした動き、このような老女はどこにでもゴロゴロいて住んでいるものだ。
この人の本を読もうと早速借り、お守りのために一冊買っておいた。
9人兄弟で、ごった返し、とうとう親戚の家にもらわれていった。だが、その家の主人は帝大の教授で、たくさんの弟子が出入りしておりその中の一人と20歳前に結婚させられたというわけだ。
彼は、外交官で、ロシアに行くのに妻の千栄子の一緒に連れて行き、ロシア生活が始まった。
これが彼女の女優になるべくの運命を決定したと言える。まず、ロシアでは、皇帝の治める帝政ロシアであり、芸術が花咲く伝統のある国であった。そこで初めてトルストイやドストエフスキー、などを読むのだった。劇場に行けば、世界的バレーのレニングラードバレーを見たり、モスコーバレーを見たりで、本物の芸術に触れたのだった。日本に帰ってきても、彼女は有閑マダムとしてまた子供いなくて、何か物足りなさが渦巻いていた。そこで思い切ったことに、勝手に舞台女優のテストを受けて受かってしまい舞台女優になることになる。何の不自由もない身分の者が、舞台女優って その当時は、吉原に身売りした様なものであった。下賤な仕事としてみられていた。
生活は180度変わる。当時は小山内薫などがいて舞台の脚本や演技指導などをするのだった。
演技をするというのは、素人で、30すぎて入門した東山にはたいへんにむずかしいものであったという。軍隊のように演技の練習を叩き込まれていったそうで、とても厳しくむずかしいものだったという。
お金をとって、人に見せる舞台は厳しい努力にささえられているらしい。それでもなんとか様になってきて、8年の外国暮らしの経験から、舞台衣装のよしわるしの鑑識は彼女にかなうひとはいなかっただろう。
日本人のほとんどが、まだ着物で暮らしていた時代であった。
もともとバタ臭い趣を持った彼女は、チェーホフなどの外国ものはにあっていたことだろう。
「桜の園」をテレビで見たが、奈良岡朋子主演であった。何か面白そうだったので、原作も読んだが、随分昔のことだ。またあの様な舞台がみたいとおもうが、チャラケたチャライものしかないので残念だ。いつまでもこんなにチャラケていて、大丈夫なんだろうか、日本の未来は…。 どれもこれも個性がなくて、ちょっと綺麗だったら、すごい美人の子としてメディアに売り出される現代。
あれ、綺麗ですか?ほんとに?どれもこれも見飽きた感じで、あきあきしちゃいません?目が痛くなるだけだね。
この本には冒頭に写真が多く載っていて、ありがたい。数ページにわたる数々の舞台写真である。
チェーホフの「熊」の写真では黒い長いベールをかぶっている。スッッポコはこれを読むことにして、
早速借りる予約を入れたのだった。