スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

8月の狂想曲(ラプソディー ) 黒澤明監督 1991年

爽やかな夏の一陣の風。そんな涼やかな作品だ。往年の美人女優  だと思われる村瀬幸子が、主人公だが、その他を、吉岡秀隆や、おなじみの役者で固めています。黒澤映画の常連がいっぱいかな。

1990年の夢という映画でテリ雨で狐の嫁入りを見てしまった小さな男の子の役をしていた俳優もいたよ。
長崎の田舎で原爆にあい、それ以後旦那の魂を弔って生きている一人の老婆の元に、4人の孫が訪ねてくるという設定だ。
老婆の頭はつるっ禿げのようになっていて、毛がないのである。あの美しい夫人が、と映画に掛ける意気込みを感じるところです。この村にはハゲ頭の老婆が多いのだった。おじいさんは小学校あたりで、原爆にあい、また小学校の生徒もたくさん被爆して死んだのだった。毎年老人らが集まって、校庭に花を植えたりしていた。その老人たちは、かつての小学生であり、被爆して死んだクラスメートを弔っているのだった。
おばあさんはサバサバした人で田舎の涼しそうな家で一人でくらしていた。自立した暮らしだった。孫にもベタベタせずに、さらさらと接する様子は、気持ちが良い。オヤツやオモチャを買ってやるコロコロ肉太りした婆さんではないんだ。孫がレジのあたりで暴れていても注意もせずにおまけ付きお菓子を買い与える老人ではない。
そんな時、あるアメリカの 男(リチャード ギア)がおばあさんを訪ねてきた。これは親戚筋の人がアメリカに移住して生まれた子供の子供ぐらいの関係者だった。
アメリカ人として、原爆を落としたことを謝りにきたのだった。孫の吉岡が英語で手紙を代筆していたのだ。ギアは、素直な人で、「おばあちゃん許してください。」と心から詫びるのだった。
おばあさんは、「もういいんだよ、もういいんだよ」とあいづちをうつ。おばあさんは、でも、どうしてもこの様に直接の詫びが欲しかったんだ。たくさんの大きなものを失ってきて、
地獄のような記憶に苦しめられてきたのだから。
ところが、電報が来てギアのパパが突然亡くなったというのだった。急にアメリカに帰っていくギアであった。もともと不治の病で余命わずかのパパだったらしいし。人の死がここでも絡んでくる。
ギアが帰った後に、おばあさんの様子が急におかしくなりはじめた。爺さんが帰ってくる様なことを言ったり、爺さんの生前の服を出して、並べたりするのようになった。心配になったおばあさんの息子と娘はもう少しおばあさんの家に泊り、様子を見ることにした。
   そんな中婆さんが突然姿を消したのだった。皆に黙って婆さんは家を抜け出して何処かへ行ってしまったのだった。
折しも昨夜から大きな雷鳴があり、雷鳴を原爆だと勘違いして大騒ぎになったばかりだった。
台風の様な大雨がふっていた。
息子らも孫らも皆が飛び出して、おばあちゃんを探した。
お婆ちゃんは、何も考えず、ただただ走った。「おじいさんを小学校に迎えに行かんと、大変じゃあ!」
皆がおばあさんを追いかけて風雨のなかを走りまくるのであった。
老人の足は人が考えているより意外にも早いのである。
ただ、その時の音楽に、あの無垢な野ばらの曲がながれる。
ゲーテ作詞、シューベルト作曲である。合唱団の声が響く中、おばあさんは、人の心配など気にもせずに小学校へとおじいさんを迎えにひた走る。
この映画は、本好きの監督らしくゲーテ詩篇を主題にした映画に違いない。「野ばら」がこの映画の中心にあるのだ。監督は、ゲーテの作品をあれこれ読んで、影響を受けているはずだ。
ゴタゴタした人生がこの歌に凝縮され、昇華されていく。黒澤はゲーテの大きな胸を借りた。
本来は原爆の話だったはずだが黒澤にしても難しい主題だったに違いない。
 

 

 

 

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ギアのパパが死んだと電報が来て、