スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

汚れなき悪戯  (マルセリーノの歌) スペイン  1955年

村の教会の入り口に捨てられていた赤ん坊は、12人の修道士達に世話をされてすくすくと育って行った。子供の名前は、その日の聖人の名に因んでマルセリーノと名付けられた。修道院の生活は、とてもシンプルで夜明けと共に起き、夕暮れになると寝るのだ。いたずらっ子のマルセリーノは修道士達を困らせながらも、とても愛されて生きていた。ただ問題は、母親がいないことと、同い年ぐらいの友達がいない事であった。

それについても皆が気を揉みあうのだった。いつのまにかマツセリーノは、架空のお友達を心の中に作り出すようになり、修道士達はさらに心を痛めるのだった。サソリに噛まれて命の危険があった時も皆が寝ず番で介抱しやっと回復に至った。マルセリーノには母と呼べる人も友達もいない。だが、マルセリーノは相変わらずのびのびとイタズラをして遊んでいたーたまには勉強も教わった。

ところが台所のパンや葡萄酒がなくなることが頻繁に起きてきた。見張をして犯人を調べると、マルセリーノが、パンなどを何処かへ運んでいることがわかった。決して上がるなと命令した屋根裏部屋に忍足で上がる彼を見つけて跡をつける台所さん。彼は食事係の修道士で、特にマルセリーノとも仲が良かった。

そこには十字架に止まっているイエスがいて子供の持ってきたパンと葡萄酒を飲んだり食べたりしている。

エスは、お礼に、お前の願いをかなえてやるといった。

「僕は母さんに会いたい。それだけだよ。それから、イエス様 あなたのお母さんにも会いたいの。」

「直ぐにか?」「うん、今直ぐにね」イエスはちょっと考えてから

「それでは、眠らねばならないね。目を閉じて」

修道士が見た時は、十字架の上のキリストは消えていた。男の子はキリストに抱かれて天井へと上がっていったのだった…。

彼はまだたったの5歳。he's just only five years old. 教会の12人の修道士達はこの大きな奇跡にのぞけるほど驚いて、信じられないという様子で皆膝まずき息を引き取ったマルセリーノのためにただただ祈るのだった。12人の修道士らの頬は涙で満たされて、お互いにいだきあい、頷き合い、祈り合うのだった

このブログは、2度目になる。マルセリーノの歌もよい歌である。

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ゴンゾウ  伝説の刑事  2008年ドラマ

久々に刑事物、警察とかの国家権力にとても弱い私なので、ついつい引き込まれて見てしまった。主演ゴンゾウと呼ばれるどうしようもない男である。箸にも棒にもかからない人間で素直さもなくここぞと言う知恵も湧かず、人の言うことは聞かず、荒くれ者で、社会のルールを守ろうとしない人のことである。こう言う迷惑男って何処にでもいますわ。

そんな男を内野聖陽が主演するドラマ。昭和っぽさがあって面白い。殺人犯を探して彷徨う刑事たち、どれもコレも追い詰めるが犯人ではなかった。いったい真犯人は何処にいるのか?コレがなかなかにミステリアスでハラハラするのだ。

長かったが、引き込まれてついつい見てしまった。

 

 

 

曜変天目茶碗  

曜変というのは輝いて変わってゆく様子でしょうかー「曜日」ヨウビとう語彙からしても、区切られたもののような気がしていたのですが、模様が一個一個縁取られ、その色合いがより強調される。以前私は曜白朝顔という、白い区切りをつけた赤や青の朝顔を育てていたーとても綺麗だったが、惜しいかな大輪ではなかったー読み方はヨウジロと読むらしい。このことから曜とは区切ることかと思っていたが、黒曜石の例の如く耀くことであったらしい。f:id:dekochanya:20240716215459j:image

日本に来た中国人の陶芸家は、日本にのみ残っているこの焼き物と出会い、中国から土を運び込み昼夜研究に余念がない。瑠璃色のような不思議な輝きを放つ、この茶碗はまるで宝石のようにも見える。

南宋時代の12ー13世紀に作られた茶碗で、その変わった色合いが不吉であるとされることもあり、嫌われたのか。中国の物が日本に運び込まれて以来、大切に保管されてきて、「国宝」になっている。

日本人の美の探求というか本物を見る目は凄かったんだなと今更ながら驚かされる。写真を見て、私はどうかなと思うが、やはり色の深さが他の茶碗とは違うような気がする。このような色なら現代ではAIで見慣れていると言えば言えるのであるが。

 

テレビでも、お宝鑑定団で2500万円の値がついたが、偽物ではないかと言われ、科学的な検証まで行った結果、ニセモノと判定。日本に三枚しかない宋時代の皿が、ヒョイヒョイそこらにあるはずもない。詳しい方が実際に見にいったところ、模様など似ているものの、やはりに偽物って思ったそうだ。偽物と本物の差は何処にあるのか?美術品というものの真偽は、その人自身の審美眼と魂の質を試すようなそういう鋭い勝負になることがおおい。

f:id:dekochanya:20240716153844j:image   荒木村重にしても、どうしても信長に茶道の茶碗をわたすまいと抵抗し、一個の茶碗のために

首を切られてでも、渡さないと主張し、城を攻められた後には、村重は逃げて、茶碗の影も形も残っていなかったという。

村重は茶碗などの一流の目利きであったと見えて、信長なき後に、堺で茶人として復活をしたという。

 名前は「高麗茶碗」であり、笑ってしまう。命がけで守った茶碗は、村重が亡くなった後は、利休の手を経て、家康の元に行き、大切にされてきたことを物語るものである。

f:id:dekochanya:20240716214715j:image この茶碗が、村重が命に変えても守った物だが唐草模様というものが、この頃珍しくとても貴重な物だったのかなとかと勝手に想いを馳せている。

ドッグマン    リュックベンソン 監督

犬が出てくる映画で、同名の映画が三つもあった。子供の時から家族に虐待を受け、犬小屋で犬と共に暮らして来た少年ー家族に銃で撃たれて、足がやられてしまう。それ以来車椅子で暮らし、犬と共に生計を立てる。犬は彼の言うことならなんでも理解して、いうことを聞くのだったーいろんな種類の犬が何十匹も彼の側にはいて、命令を待っていた。大きな犬、小柄な斑の犬、シェパードなど、彼の命令通りに動くのはすごいものである。 犬好きの人にはたまらんだろうなあ。思わず抱きしめたくなるイヌ、犬、イヌ。

彼には歌や劇の才能があって、アーティストと呼ばれキャバレーでも歌っていた女装歌手で人気者だった。ただ足が立たないこと以外は。

彼の人生は実に多彩で山あり谷ありであった。生まれながらの優しい心は、全て犬とキリスト教信仰に注がれていたようだ。

市の政策で犬が取られてしまい、犬を使った盗難もバレてしまい、街のヤクザにも狙われて、とうとう殺人を犯してしまうー彼の長い人生を聴き込んだのは警察の精神科医の女性であった。彼女は冷静に彼の話を聞いていった。彼の哀れにも数奇な人生。思い出の中で犬との繋がりは唯一の光か宝石のように輝いていた。だから彼は、過酷な人生を生きてこられたとも言える。警察署のすぐ前には教会があって高い塔が空へと伸びていた。

彼は自分の足で立って歩き始めた。教会に向かって、一歩一歩。歩くことは、医学的に彼には死を意味するのだが、もう彼にはなにも残されてはいなかったのだ。神の塔を目指して歩き、神と自分自身への申し開きとした。倒れて息を引きとった彼の周りには、多くの犬が駆け寄り集まって彼を見守った。

 

子供の時、銃で撃たれた骨髄は、足の銃弾の傷口から流れ出て、歩くたびに命が削られるという、不思議な設定であった。

何故車椅子生活になったのかなど分からなくて 何度も繰り返して見なおした。

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