キリストの最後の着物、聖衣にまつわる物語。凛々しいリチャードバートンの若かりし姿、これって誰?って感じ。
エクソシストの神父様の時は、えらいかっこよかったが。
時はローマの折しもカリギュラ帝の時代になった。イエスキリストが磔になったとき,着ていた毛織物の衣が残されていたーーそれに触ることを皆が怖がって、呪われると本気で思っていたのだ。特に、皇帝などは嫌っていた。
バートンは、皇帝に仕える護民官と言う位であり、キリスト者を、捕らえて獄につなぐ役であった。
バートンは、自分のやったことと、キリストへの愛との間に挟まれて、とても苦しんでいた。
良心のうずきというのか、彼は、彼こそは、キリストをはりつけにした執行人なのだった。
彼を見た時の雷に打たれた様な衝撃が彼を捕らえて離さないのだった。
キリストを愛し、信じるものたちは、カタコンベ(地下)にあつまり、聖ペテロも、出入りしていたが、キリスト教を一掃しようと兵隊たちがあちこちに配置され、キリスト教は小さくなって生きていた。イエスをこの手で殺した私は、永遠に許されない人間だというバートンに、ペテロは、イエスはあなたを許していると、言ってきかせる。私も三度も、イエスを知らないといってしまったのだよ、と。
ある奴隷が捕まって、ひどい拷問を受けていたが、バートンが救い出した。その代わり、バートンはカリギュラの兵に捕まり裁判で死刑を宣告される。カチギュラの婚約者でもあったダイアナは、イエスを信じる様になっていた。
ダイアナは、バートンとともに、死刑場へと歩いてゆく。
ダイアナも、カリギュラに本当の王の元へと行くと言い切った。
命や地位を守るため、イエスを裏切る事はしなかったバートンと、ダイアナ。
これは、いったいハッピーエンドと言うのではない。神の王国では幸せになったのかもしれないが、現世では、極刑をもって処されて、ハッピーとはどうしても言えない。
この様にして、キリスト教は、多くの人の命の礎の上に建てられたのだろう。