このえいがはrebel in the rye で、ライ麦畑の反逆者という意味だそうだ。rebelというのは反逆者の意。
catcher in the ryeというのは、サリンジャーの本の題名だった。あたりまえだろう、ばか!
作家になろうとするサリンジャー、でも、それは素人には分からない、難しい苦難の道でもあったが、彼は遂にコロンビア大の、文芸講座に入学した。彼の文章は、他の人には酷評され続けた。
だが、ケビンスペーシー演ずる教授に認められ、初めてニューヨーカーという有力な雑誌に掲載された。
ウィット教授は、文学の造詣も深く、誰にも受け入れられず、常に反抗的な学生のサリンジャーの才能を見出した、はじめての人物であった。彼自身も作家であった。彼曰く、フィッツジェラルドを見出したのは彼であったらしい。
ライ麦の中に、ホモの教授のことが書かれていたが、いやはや、教授もやられたものだ。
そして、俳優も、me too,のケビンスペーシーだ。キナくさいなあ。
今までなかった新しいスタイルを持った文学が彼の作品であった。多くの出版社から書いて欲しいとの依頼が来る様になった。
新しい感覚が、民衆にも受けたのだ。大学で指導したウィット教授や、彼を認めた編集者などが彼を支えてくれていた。
だが、長編を書く前に
世界大戦出兵し多くの死を見たり、自分も塹壕の中で死にそうになる。この戦争を体験してから、もう本が書けなくなったた。彼は深く悩み傷ついた。
こうして生還できたのも、小説主人公ホールデンのおかげだということは、彼自身も知っていたが。
ホールデンという少年というか青年の物語を書こうとすると、いつも、戦争の幻想にじゃまされて、
一行も書けないのだった。教授も心配し、病院にも行き、宗教にも通った。
お前などが、のうのうと、生き残り、なんだって?小説家だと?!
死んだ者の身になってみろ、この罰当たりめ!
そんな気持ちがつづく数年。しかし彼には、伝道の使命がかされていた、とでもいうのだろうか。
数年かかってやっとの思いで、ホールデンという主人公をモデルの小説を書いた。戦時中も温め続けてきたストーリーの主題であった。彼のはじめての長編小説というやつだった。あの教授は、いつも言っていたではないか。「お前は長編を書かねばならんのだよ。作家になるということは。」
「ライ麦畑で捕まえて」は、ニューヨーカー編集部に、却下されたが、別の出版社が、拾って世に出した。
それは世界中に広まり、ホールデン青年のことが、自分のことの様に思えるという読者が続出した。
家にも学校にもなじめず、惨めな主人公、極寒のニューヨークの街を1人歩く主人公、みんな現実の様であった。
そんなこんなで、何百万部も出版され、どんどん売れてゆくのだった。
1951年刊行以来、今でも売れ筋である。
題名のcatcher in the rye とは、崖から落ちる子らを、捕まえて落ちないようにしてやる事だそうだ。
フーン、意味深だね。
でも、、でも、なぜかしら、サリンジャーは、森に引き篭もり隠者の様な生活を始めた。
それ以後、もう彼の著作は発表されなかった。
今までの彼の著作を読めば、およそのことがわかるであろう。
ただ、あの教授が自分の本の推薦文を書いて欲しいと頼んできた。
かれはは恩師のために、文を書いたのが最後となった。
この監督の映画は面白かった。 敬具。
藤、wisteria,サリンジャーのことを思うと、何故かこの優しい花色が似合っているように感じる。