カジモドという奇形の男が打つ鐘の音は美しかった。醜さ故か、人前に出ず、ノートルダムの鐘楼で暮らす。
大僧正の弟ロフフは、ある日ジプシーの一団の中に、美しい娘を見つけて、
恋い焦がれる。ジプシー達はパリでの居住権を訴えるためにやってきたのだ。
ノートルダムは、聖域で、罪人といえど、誰も手出しはできない場所であった。
庶民らは、ここに集い祈る。たくさんの聖人が彫られた美しい寺院。パリを見守る寺院であった。
権力の力で、恋を手に入れようと企む男フロロ。
カジモドは誘拐容疑で捕まるがその醜い姿を広場で公開し、上着を剥かれ、むち打ちにされ庶民らの目に晒された。ムチ打たれて、庶民から汚いものを投げつけられ、弱りきったカジモド。
エズメラルダは、水を求めるカジモドに水を与えるのだった。
そのうち、いうことを聞かぬ女に業を煮やしたフロロは、ついに女に殺人の罪を着せて捉える。死刑囚であった。本当に殺した犯人はフロロ自身であった。
夜中に狂ったように鐘を鳴らすカジモド。
広場に死刑台が建ち、女は処刑されることに。そのとき、カジモドが空からロープで現れて、女をノートルダムに連れ戻した。
彼は恐ろしいほど、身軽で、まるで、キングコングのように力持ちでもあったのだった。鐘楼の中を猿のように跳び回るカジモド。
彼女を捕らえるために、軍や、こじきの王様たちがやってくる。聖域の門を強引に破り侵入してくる彼らを見たカジモドは、高い階から、柱や石を落とした。最後にはグツグツに溶けた大鍋の錫(すず)を全て流した。そのすずは石の通路を渡り門の上のいくつもの彫刻の口から流れ落ちた。皆が大火傷して退却。
フロロを抱え込んで、高い窓から下へと投げ落とした。
幸せそうに若い男と帰ってゆくエズメラルダを見送るカジモド。ジプシーの市民権も認められたのだった。
彼の気持ちはさみしく荒涼としていた。が、神の御心は広く彼も救われるという予感がする。
ユーゴーの話は作られ過ぎている。重厚なる寺院の奥まで入って構想を練ったのか。有名人故、奥まで入れたのだろう。
ただわざわざ奇形のものを主題にするのも、現代では問題視されるであろう。これを主題にしてしまったユーゴーこそ問題児であったのかもしれない。
数知れぬカジモドの様な人々は、表から姿を消したら、それっきりである。彼らは、帰ってこられない。自分の家にも野原にも、彼らの場所はなく、奪われるのである。発達した現代の世は、弱いもの達を、抹殺しようとしているらしい。
ユーゴーの実の娘は、ある大尉に恋い焦がれ、何年間も追い回し、最後は精神を病み、病院で亡くなっている。これも映画になっているが、衝撃的な映画だった。史実だというからには。
「アデルの恋の物語」これは思い出しても怖いっすよ。
ノートルダムも大火事で焼けてしまいました。怖い世の中ですね。