色々とフジコの本が出ている中、この本ではアーティストの名や、クラシックの曲名が次々上がり、勉強になった。
リストの「ため息」、ショパンの「木枯し」、など得意とする曲を次々演奏するようになったフジコである。
なかなか凄い演奏で、怒濤の様なピアノのサウンドが圧巻である。
フジコは下手とか言う人もあるが、まあ、色々である。
ステージに出るときは、いまでも震えるという。安定剤が必要なのである。
ただ孤独のまま長い長い旅をしてきた彼女の生命力は、名前どおり、不死身としか言いようがないものだ。
孤独の中で、一人練習し続けてきた彼女のスタートには、当たり前だが、ピアノ教師である母がいた。
厳しくて褒めてくれたことのない母であったが、亡くなって今、フジコは母に感謝の祈りを捧げている。
まあ、亡くなってからでも良いと思う。
母は、一本気な人で、いつも怒り散らす、嘘の言えない、オベンチャラもほぼ言えない純粋さを持った人間であった。
まさにこれって芸術家タイプだよーん。
東京芸大から、ドイツの国立音大と、同じレールを走らざるを得なかったフジコである。
ドイツでは、貧乏で貧乏で、ゴッホや、モジリア二などの不遇だった芸術家の人生を思って辛抱したとのこと。
天才達は、認められず皆不幸であったから。
ただ私自身は、今もって母との確執に囚われる事もある。いつか、感謝する日がくるのかしら。
母を身近に感じることができたフジコが羨ましかった。
風来坊の様に自由に生きる、それは、彼女のファッションなどにも、表れている気がする。
女で、風来坊って、できそうでできないと思うんです。ええ。
生き様と、音楽とが、混ざり合った演出は流石というものだ。