主演篠原涼子と西島秀俊でやっているのだが、何か変わった話であり、疲れた。
夏休みに、いとこ同士でプールに行き、おばあちゃんが目を離した隙に、溺れてしまったのである。
その子は、まだ幼稚園に上がる前であった。
そのまま、植物人間になる。脳死という言葉が出てくる。人形のように眠ったままだ。
白金台の立派な家のはなしである。祖母の不注意による事故、そして、事故の原因は、母親の妹の幼い娘が何か関わっていると言う、悲劇なのである。本当のことが言えない子供たちは心をガラスのように傷つけ、死ぬような苦しみの中で生きることになるが。
このような状態が続けばこの家庭も、崩壊の危機に向かっていると言える。母親はあまりにも必死に看護していていつか生き返るのではないかと信じ込んでいた。
ただ医師は、脳死の可能性が限りなく高いと言う。そんな中で、若い研究者(坂口健太郎)によって
子供の脳に直接電子記号を送り手足が動くようになる。また呼吸も特殊な機械で大腹膜呼吸をしてさながら生きているようであった。少しずつ成長しているようにも見えた。内臓も動いていた。
それもこれも電子記号のおかげである。電子記号を送ればでも足も動き、また微笑むこともできるのだった。
だが、夫婦の間にはなにかしら常に離婚の危機が訪れようとしていた。もともとこのようにいがみあっていた2人である。本当はそれが1番大きな理由ではなかったのだろうか。子供は自分たちの両親に失望していたに違いない。
弟は小学1年生になったばかりだが、母親は女の子の面倒ばかり見ていてほとんど顧みられていない。
この家には父親は住んでいない。時々やってきて様子を見に来るのである。
息子の誕生日の日に、小一の息子は、死んだような姉のいる家に、友達を招くのは嫌だ!と言って拗ねまくった。綺麗なご馳走が並ぶパーティーのテーブル。母親は切羽詰まって、とうとうキッチンにあった包丁を出してきて娘の胸に当て殺してしまうと言って暴れてしまった。これは生きているのか死んでいるのかを周囲に確かめるためであった。
もし、殺して、殺人罪になれば、この子は生きていたという証になる。狂ったようになっている母親に誰も手出しができない。
母親が起こした事件以来、女の子は病院で脳死と言うことに決まりすぐに心臓移植の子供のために心臓が提供されたのである。両親はあの子ならきっとそれを望むであろうし、もし女の子の心臓がまだ使えるのなら使ってほしいと医師に申し出たのである。娘は確かに天国へと旅立ったのである。母親は娘が「本当にありがとう。幸せだった。お母さんありがとう」と言うのを確かに聞いたような気がしたのだった。