仏教協会推薦の熨斗のついた映画である。
空海は、貴族とかの良い家柄のぼんぼんであった。修行をし、あと都の大学をでれば、高い役職につくことが決まっておった。
幼い時から、神童だの、天才だのと、未来を託されていたのだ。
だが、彼は、学校には行かず、諸国放浪の旅に出てしまった。彼は、一歩一歩歩いたのさ。
帰ってきたときは、まるで乞食のような姿で、誰も彼だと気がつかない。
すぐに、また放浪の旅に出たが、どこもかしこも、庶民の生活は苦しく、疫病、飢饉などに、苦しんでいた。また富士山の大爆発に出会い、九死に一生を得る。
彼は自然の動きに敏感で、地球が生きていることを、人間や獣と同じように命があるものと感じていた。周りのもの全てが、空気が、太陽が、水が、語りかけてくるようだった。
わても、最近本当に嫌なことがあって、まあ、リストラのような目にあっていた。
運命の分かれ道であった。一か八かである。
そんなとき、大日如来の使者のような、空海の映画を観ることになった。偶然だけどね。
空海は中国にも渡り密教を極める。誰よりも賢く、誰よりも信心を持った人間が起こした奇跡はいろいろあった。
民衆を鼓舞し、大きな堤防を作って、村を救ったが、、その間50日間眠らずに、祈った空海であった。お経の読みが上手い!
もっと聞いていたかったなあ!
その日、わてはカボチャの夢を見てなあ。
カボチャを食べて、空腹がなくなる夢。飢餓からも解放されて、安心した日々。
いくら食べても再び腹は減り、買い物しまくって、料理を作り、ガツガツ食べる。こんな苦しい日々が
続く毎日は、心も体も、ヘトヘトになり、儲けても儲けても苦しみだけが堆積するだけ。
だが、今回のリストラの件で悩み、追い詰められ、悪夢を見て、くるしい毎日がつづいた。だが、ある日、フット、吹っ切れた。恨むまいと思った。そして、かならず、この呪いから逃れて自由になろうと思っていた。
そしてなぜか、カボチャを毎日食べた。砂糖なしで、チンしてたべた。
これは重要な意味を持っていた。感謝祭でも、大活躍のカボチャは、病気を治し、健康な体を作る野菜だ。何度も言うが、糖尿病の薬である。この病の人は、毎日かぼちゃのみを食べて、病気を治すと、中国漢方にあるらしい。
これを、毎日食べることで、体はだんだん健康になり、精神も、健全になってゆく。
喜びが、ふつふつと湧いてくる、道端の草に、挨拶してゆく。今日はナメクジを逃がしてあげた。
歩いて歩いて、老人のように歩いて、修行僧ように歩いて、いつものスーパーに行った。
わての老人僧のようなファッションはうけて、なぜか、知人の多くが道で声をかけてくれたのだった。