数週間前に見たのだが、白い絹の服を着て、それは中国風で長いワンピースで、刺繍が美しく刺してある。
また、袖がとても長く、タラーンとした袖口であり、これが、踊りとマッチしていた。
高貴な人は、労働はしないので、手は衣服の中に包まれている。
皇帝の使いが来て、里の方に逃げていった楊貴妃を探しに行く。
ここが楊貴妃の育った場所か、と楊貴妃の幻の切れ端でもと探す家来であった。
幻もがや、幻もがや、幻でもあったら欲しいものだ!という意味である。
そこに、楊貴妃の幻が本当に立ち現れる。家来は、感嘆して眺める。
絶世の美しさの女性とは、本当はどのようなものであったのだろうか?
玉三郎は、そこで、いっとき、美しい舞を踊って見せる。
それでも、真実に、到達しえない苦しみともがきが、彼にはあったはずだ。
誰も想像しえないものではないのか。
淑やかで、秘めやかで、チャーミング、言葉では表しえない、神仏のギフト。
ありえないものでなければ、玄宗皇帝であってもなくても、寵愛はしまい。
朝とともに、消えてゆく星の瞬きのような儚さの中の一瞬のきらめきは、永遠と同じ価値があった!
玉三郎にとっても、この楊貴妃には、特別な思い入れのある舞であったようだ。