スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

カフカとの対話 グスタフ ヤノーホ (チェコ)

カフカのことをヘル   ドクトル   、または、ドクトル  カフカ,  と 敬称で、著者は呼んでいる。

 

カフカと同じ役所に努める父親によって作者ヤノーホはカフカと面識を持った。

以後、文学、人生、政治、仕事、とあらゆることを、話し合う、いう形式で、進んでいく。

カフカ自ら話し出すということはなく、常にヤノーホが本を持って来たりして、意見を聞くという形式がほとんどである。

カフカは、役所のデスクにいたり、あるいは窓辺に立っていたりというポーズで、答えている。

大きな緑か灰色の目を時には見開いたり、すぼめたりで、言葉少ないカフカであった。

そんな少し難しい彼に、ヤホーノは友人という立場を認めてもらい得意であったろうし、貴重なものとして、大切にしたのだった。

カフカの独特な静かなポーズを繰り返し描いている。

カフカの言葉も、ゆっくりと、絞り出すようにしゃべっている気がするのは、作者の表現力のせいか。

文字を追って読んでいると、神経質になって寒くなってくる。かなり神経質なかんじをうける。

だが、カフカの言葉に真実が滲んでいるので、決して見捨てることはできない。

 

彼は考え詰めたことを、話すのである。それは怖い感じでもある。

人生を突き詰めて行けば、皆人間は、死なねばならなくなる、と、スッポコは思った。

真実とは、酷で冷たいものだ。弱い偽りの姿で、自分を捉えているから、こんなことになるのだろうか。

罪を忘れようともがいて闇雲に欲の命ずるまま行動する人生、彼はそれを夢遊病のような人生だ、と言っているが、まさに現代の我々もそうである。

 

文明の発達が、人間を、ズタズタにして想像力を奪ったことは、今の自分たちを少し見れば、わかりきったことである。自分も、世界も寸きざみに刻み、ある限りの小さな視野で世界を見ているというわけだ。

 

 

 

機械が、世界を担うようになるとか、そういうことを予見したり、権力が、我々ユダヤ人を、

圧迫する日が来るといっている。

著者は、まさか、と否定したが、カフカの言った通りの世界へと変形して言った。

 

戦争は、人間の想像力の、欠如によるものと述べた。

色々な悪い行為は、こうして公然と行われるているのだろう。

 

1924年にこの世を去ったカフカ。「作家という仕事のために、仕事が昂じて、こうして病になったのだ。私の不注意によるものだろう。また私が裕福な家に生まれたという罪のためだ。」と言ったと書かれている。

そうだったんだね。

 

 

カフカとの対話―― 手記と追想 (始まりの本)

カフカとの対話―― 手記と追想 (始まりの本)

 
カフカとの対話 (ちくま学芸文庫)

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