スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

画家 高島野十郎(やじゅうろう)

高島は、福岡の裕福な家に生まれた。1890年のことだ。それからしぶとく85歳まで生き抜いた。享年1975年だ。

この画家は独学で絵を書くようになるのだが、紆余曲折している。

大学は家の希望で、東大の農学水産科に入学して、さらに首席で卒業。

末は、博士か大臣かと望まれたのだが、本人は全く逆の道へと行ってしまう。

学校時代に、骨の図を描いたものが残っているが、とてもうまいものだ。

 

彼は自分の名を野十郎として号名にしている。

 

彼の兄の友人であるのが「青木繁」であった。

この人の影響は否定できない。近くに、青木繁がいるなんてとんでもない環境であった。

 

高島も画家になることを、志すようになった。これは親には大きな迷惑であったろう。

東京での暮らしに終わりを告げて、福岡の田舎の畑に、一軒の小屋を借りて、一人で住み込んだ。

井戸があるだけの草の中の小屋であった。

風采はまるでホームレス、そんな男を村人は見守っていた。

町に出かけるときは、とても良い服を着るので、不思議がった。あれはなんだい、一体何者?

 

彼は一生涯、孤独であった。妻もなく、画壇とも没交渉であった。

 

絵画より、彼の人生の方が壮絶で面白い。 こんな過激なことをしても、多分続く事はないのが普通だが、彼はこの生活を突き通していった。何のために、誰のために、何を求めて?

ぬくぬくと育ったボンボンに何があったのだろうか。わてに下衆の勘ぐりだろうか。

 

絵画は、ろうそくの絵が有名である。まあ、上手だが、なぜだかプロっぽくはないという印象を受ける。それは絵の中に彼の人生観を写したものだからだろう。それは見ていて顔を背けたくなるものでもある。それは彼がプロではないからだ。

絵を通して彼の人生が透けて見える。

いつもいつも明るく光る蝋燭の炎の様に、絶えることを知らない彼の信念がある。

宗教的にも随分と傾倒した様であるが、何か彼なりに救いを求めたのか。求めなかったのか。

彼は将来を期待された頭の良い人間のはずであったのだが、それがなぜ、この様な人生を選んだのか。

 

 

彼は人間として、画壇とも交わらず、孤独を愛して生きていた。

なぜそこまで人間嫌いになったのか。

ちょっと考えられないほどの孤独ずき、これは一体どういう訳だろうか?

全く不思議な事でもある。

まさか、現代の仙人にでもなるつもりであったのか?

 

ある裕福な家のお坊ちゃんの命をかけた人生は恐ろしいほど崖っぷちで、こわい。

その割には85歳と長生きをしている。自分を守るすべは知っていたのだろう。

現実はどうだったのか。生活費はどこから出ていたのか。もう何もかもわからない。

裕福なお坊ちゃんのやる事はもうメチャクチャで秩序がない。

ただ両親は多分しっかりものだっただろうが、既に亡くなっている。淋しいことだ。

家も傾いていたかもしれない。

 

彼は幸せだったのだろうか。彼は何者だったのだろうか。少なくとも、筆を握っている時の彼は恍惚として幸せだったのではと勝手に想像してみるが、何か泥臭く感じるのが惜しいところでもある。

 

野十郎の炎

野十郎の炎

 

 

 

高島野十郎画集―作品と遺稿

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過激な隠遁―高島野十郎評伝

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