野菊の墓、なんとも儚い題名である。今までにも映画化されたことのある純愛短編である。
聖子19歳の初々しすぎる姿、化粧してない自然顔がみえるよ。
ワテ以上のおばさんになると、なぜか純愛に憧れて、この映画で何度も涙が溢れる。
これは不思議ですね。心の浄化作用でしょうか。若い二人の純愛が、なぜだか胸を打ち、汚れのない若い時を思いだしたり、もうそこには二度と戻れないという諦めとが混るのだ。
まあ、日本のロミジュリといっってもよいくらいの完成度があると感じた。しかも重厚な西欧ではなく、竹かごを背におって畑に歩いて行くと、道に地蔵さんがあるような、のどかな日本の風景が広がる。桑畑が続く穏やかな丘の畑。そういうところで繰り広ろげられる本当のような恋の話。
本気に真剣に恋をしてしまった若い二人はまるで、死に至る熱病のようなものだったのだ。
その危うさにまるで気がつかない大人達の無神経。
これまじロミジュリに似てるわ。
左千夫マジックといってもいいだろう。
そういう地方で家柄が違う同士で、良い商家のお坊ちゃんは家を離れて上級学校へ旅立つ。
下女として働く聖子は、子供の時からの出入りであったが、一つ年上で、これがよくなかった。
無理やりの縁組をさせられて、軍人なんかと結婚した。
「君は野菊のような人だ。野菊の花が僕は好きだ。貴方はリンドウのような人。リンドウがほんとうに好き。」と言い合った二人。ただそれだけの誓いで結ばれていた二人であった。
その思い出と、坊ちゃんからもらった手紙を死ぬまで離さなかった彼女のあわれは周囲の人たちの胸を打ったのだった。
坊ちゃんに悪い虫がつかぬようにと、無理やり、怖い軍人と結婚させた人たちは、はじめて後悔するのだった。
女は身ごもり、姑にいじめられて畑で流産し、それが原因で死んでしまう。
こんなお話を伊藤左千夫はとても綺麗に作りまとめることができた。
さすがである
夏目漱石は、伊藤に「君の野菊の花は、名品だ。美しくて綺麗で自然でよく出来ているね。 この小説は100回読んでもよろしい。」と、絶賛の手紙を送ったそうだ。
漱石先生、「題名」が違ってませんか。あれ?