100歳という言葉に惹かれて読んだ本。しかも精神科医だって、驚きだね。
生活の中で、健康にすごすコツをいろいろ書いてある。
だれでもこんなことは思いつくのだろうが、精神科の先生がおっしゃることは確かなことでより有り難く感じられるのだ。いや、100歳にもなって、わざわざ嘘をつく人もあまりおるまいという老人信心から来ているのか。
ササーッと読めるのは本当に有難いものだ。おまけに、自分も100歳まで生きて見たいのうと思ってしまう。
しかし先生は、生きていれば、これでもいろいろ辛苦をなめてて来たに違いない。
50代で、秦野病院という精神科の病院を建てたのだ。50年前であるから、まだまだ偏見が強く、
風当たりの強い時代であったであろうが、この頃にできた精神科病院は、どこも大きくなって発展に発展をしているのだ。
しかしながら、彼女は老人施設を作っていない。美味しい機会は幾度かあったが、つくることができなかったと回想している。
これが帰って良かったとも思える。何かやはり老人施設がくっついてくるとイロイロとなってくるだろう。
体ばかりの病気ばかりが病気ではなく、心の病でまいっている人たちを助けるという病院。これが当たったんだね。まるで目に見えず、空気と格闘しているような苦悩の病気は、キリスト様にしか治せんわ。だが、薬が飛躍的に開発され、開放病棟なるものもできて来たのだ。
薬剤で人の心が操れるとは、なんか眉唾的だよね。
だがそれまでは、閉鎖病棟に閉じ込めたり、逃亡患者をさがしてばかりの捜査班のような仕事が多かったと、100歳の先生は回顧している。
何が彼女を焚き付けてイバラの道を進ませたのか、もう少し突っ込んで聞きたいところだ。
何はともあれ、一億総精神病といってもよいようなこの世の有様である。
でも彼女は、いきいきとして自分の仕事に邁進している。
名乗らぬ限りこのおばあさんが、精神医だなんてだれにもわからぬのではあるまいか。
最も無関係の人のようにも見えるほどだ。
院長であるとはこのようなものなのだろうと、すっっぽこは、ちょっとがっくりしている。
彼女は本では、素晴らしくうまく語れる才能がある。しかし実生活では、本ほど雄弁ではないと思うスッポコである。年齢がいってから、本を書いて、成功であった。