ヴォーゲル夫婦には面白い趣味があって、アパートにそれはそれは沢山のアートを持っているのだった。
彼らは協力して、アートを集め続けた。夫のハーブには、美術品を見て、見極める眼識があった。それは大人になってから、図書館に通い詰めて培ったものでもあった。
直接画家の渡り合って、絵を買うという手法をとった。それで、たくさんの画家や芸術家と知り合いになったのだった。全く売れない芸術家を訪ねては、根掘り葉掘り作品の情報を聞き、気に入ったのもを買い込んだ。
この作品には何かしら未来を感じられる、とかいうのだが、白紙の絵画であったり、ブリキを固めたオブジェであったりと様々ではある。それを良い状態で保存しているのだ。
二人は給料を絵につぎ込んだ。作品を見たり買ったりの日々は、二人にとって夢の国をたどっている様な楽しいものであったと想像できる。
楽しかったから、できたという結果なのだ。
ヴォーゲル夫妻は、その道では次第に有名になってはいたが、職場では、誰も知らないことであった。
ハーブは年もとった。ある日、ニューヨークのナショナルギャラリーから
あなた方の集めた作品群をナショナルギャラリーに寄贈しないかともちかけたれ、それに同意する。
小さなアパートに、本当に多くの作品群があった。学芸員たちと、トラック運転手たちはパニックになった。なぜこれほどの膨大な作品が、小さなアパートに収められていたのか。謎であった。
多過ぎたので、他の美術館にも分散されて収められた。
さて何日もかけてギャラリーに運ばれた作品はどれも素敵な意味を持っていた。
コンセプトのあるものコンセプチュアルな作品しか集めなかった二人。それは全てミニマルで、アパートに入るものに限られていた。まあ値段もそれなりのものであろうが、中には高額なものもあったであろう。
ナショナルギャラリーは、誰でも無料で入館できる。沢山の人に自分たちの作品が見てもらえると、夫婦は本当に喜んだ。
名もない作家の中から、数人は、有名になって育っていった。売れなくて貧乏だった時、夫妻に作品を買ってもらった喜びを皆が覚えていた。それはなによりの励みになったことであろう。
ミニマルな作品というのは、小さいが、コンセプトがあり、必要不可欠なものを含むということらしい。
ドロシーは素敵な作品に会うと、ステキだわ!といって喜ぶ。木の枠組み、針金、なんでも芸術になった。
眼識のあるハーブに頼って集めてきた作品の数々は、郵便局に勤務した給料をほぼ全部つぎ込んできたものである。ハーブの性格はかわっているようにみえる。感情を表に表さない古いタイプの男であった。嬉しいときも、悲しいときも、平然としていて、感情が見えないのである。
これは特に成熟した男性のタイプではないのか。
すごい作品に出会っても飛び上がってよろこんだりしないのである。淡々と、である。
逆に何を考えているのか読めないもどかしさがあるが、
喜怒哀楽をすぐに表に出す現代の若者や、女子には、はるかに及ばない世界に住んでいる様に、スッポコは感じた。
この性格と芸術との間にどの様な繋がりがあったのかは、解明すべきであるし、謎の様な気がする。
手に手を取り合って暮らしたふたりの夫婦の有り様はほほえましく、とてもうらやましい。
ハーブは、ドロシーを残して、数年前に亡くなっっている。