このお硬い文章から言って、とてもついて行けぬと、十代の時は思ったものだ。
ただ最近ちょっと気になって、また本箱から出して読み始めた。
なるほど、これではちょっと固すぎる椅子のようだ。固すぎるベッドか、布団か、木靴かと言った感じだ。
きっと彼の家を訪問しても玄関で門前払いか、入ってもお茶も出ない気がする。
行動、情念、気分、このような人間の持つパーツについての所見をのべている。
ある昼下がり、一杯のお茶を友にチェアーに座って、アランの本を開く、これが余裕のある人の生活というものだといわんばかりの語り口調だ。品の良い人々に読み継がれる本なのだろう。一つ一つが短くて、ダイジェストの週間コラムのようにも思えるとことも少し俗っぽいとは思うが。とにかくクダケていないのがいいのだろう。良い生地のスーツを着たまま読む本というか(笑)
人間は、苦しみが好きだということだ。全てが整って与えられた幸福は、嬉しくないものだ。
苦しんで得た成果に幸福感を見出すのだ。
世の蒐集家に、全てを与えたとして 彼は嬉しくないのだ。集めるという行動を従わない蒐集家というものはいないからだ。
戦争は、退屈を持て余した上層部の人間がするのだと。
人間退屈になると、悪いことを目論み行動に移す。このことを繰り返し言っている。
彼は大きな戦争を二度も経験してきたのだからな。
また一番驚いたのは、戦争と平和についての考えであった。
やれやれ驚いた。これもむずかしい。
平和をもたらすのは「正義」だ、というのだ。
最近、「正義」などという言葉も、正義自体も見たことがない。
ほぼ死語に近いであろう。
誰も正義の意味を知らないであろう。
彼の名はエミールオーギュスト シャルティエ というフランス名だが、アランというのは
ペンネームだそうだ。
1925年に世に出た書物で、アラン57才のときである。少し遅いようだが、彼はミケランジェロを例に出して彼は死ぬまで学習というか、学ぶ姿勢をもちつづけた人だった。学ぶのに遅すぎる、ということはないなどと尊敬を隠さない。
彼は哲学者、モラリスト,教育者として活躍した。内容の中にはピンとこないものも多くあるが、
彼ほど全き中立的な立場を固く守った作家もいないはずだ。
彼の独特な論調は役に立つこともあるだろう。
彼の本を読むと,冷静な気持ちになり人間はまず冷静であるべきだというようなきもちになる。
彼は物知りで,口調はあくまでも堅苦しく,決して羽目を外さない人である。
彼の言っている言葉は本当だろうか、嘘だろうか。嘘であれば、彼は稀代の大嘘つきであろう。
全く面白味のない感じで木片を食べているようなかんじもあるのだが,それにはそれなりの価値があると思う。木は飲めば漢方にもなるし、食べても虫歯にもならない。大抵の作家には虫歯になるような甘味が入れてある。
ぐつぐつ煮えていないで、まあ、ちょっとクールダウンしなさいよというサインである。