スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

さかしま ユイスマンス 原作 澁澤龍彦訳

ユイスマンスはフランスの文学者であり、デカダン派の代表選手と言ったところである。

詩人のヴァレリーなどに影響を与えたということだ。

はじめは、悪魔主義で日本の夢野久作ドグラ・マグラのような感じの小説を書いていたが、のちに、キリスト教に傾倒して行き、変わっていった。

 

さてこの「さかしま」だが、逆さまというこことであるが、物事を逆さまに見ているということであり、行動も逆さで、昼夜逆転という現代人の病のような生活を送る者である。

その名はデ.ゼッサントという一人の貴族の若者だ。非常に脆弱で、全てに敏感で、美意識は、とても高く、すべての美しく美術価値のあるものを好み、絶対の自信を持っていた。

この小説では、美術から植物まで色々の美しいものがたくさん出てきて、もうヒッチャカメッチャカのように散りばめられているため、わてはその辺は、パラパラと目を通しただけにした。

 

 

彼の家は代々続く貴族の家で大金持ちだという。パリの喧騒に飽き飽きして、とうとう田舎の別荘に引っ越してしまう。その家をあらゆる贅を尽くした彼独特の趣味の家に仕立てて、とうとうそこに引きこもってしまう。

 

両親は居ないような状態で育てられたデッサントであった。

彼には働く必要もないのだし、引きこもっても別段どうということはないのだ。

お経に遠離一切顛倒夢想といって、さかしまな想念からは離れなさいという言葉がある。

そこでの生活は、彼に言わせれば、俗世には理解のできない高い美意識に守られた要塞のようなものであったのだろう。

 

ただ、あまりにも閉塞的に過ぎるのである。耽美主義はどこかで崩れ去る運命にあるものだといってもさしつかえないだろう。

 

女もよりどりみどりであったが、しかしどこに、愛があるものか。

お金に媚びを売る女ばかりかもしれぬではないか。どのような喜びがあるのだろうか。

彼はいろいろな芸術を分析し、気の向くままに生活していった。ただ社会とは隔絶していた。

これは本当は厳しい現実からの逃避である。自分の弱さを美術品鑑賞で誤魔化した見苦しい自己ではなかったのか。

 

そうしているうちに、デッサントはなにやら病気になる。原因のさっぱりわからぬ病になるデッサントの苦しみは何か不思議な苦しみであった。しかし苦しいことは確かである。

医者も困ってしまうのだった。

だが、医者は意を決して進言する!

「ここを出なくては、あなた様は死んでしまいますよ!」

 

しかしデッサントは、グズグズと決心がつかない。またあのパリに帰るのかと思うと、全く気が進まない。

しかし死ぬのは嫌だというので、いやいやパリに帰るのである。喧騒の街パリに。

 

彼は必死に変わろうとするだろう。それが生きて行くということであるのだ。

彼の中には一握りでも生きることを渇望する健全な自己が残っていたのである!

がんばれ、デ・ゼッサント!わても応援してるで。

 

 

 

さかしま (河出文庫)

さかしま (河出文庫)