スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

幼稚園

幼稚園も学校も大嫌いだったわて。

ただ幼稚園は美味しい蒸しパンを焼くおばさんがいて10時になると、おやつが配られた。

これは美味かったわ。でも給食の脱脂粉乳が死ぬほど嫌いで、死にそうだった。あれは拷問以外の何物でも無い。ただ、わては何事につけてもがまんのできない性格だったとは思う。

いたずらっ子は、下の小川で、一日中、ずっとメダカや、ドジョウや、バカ貝を取ることに熱中していたが、なぜあんなに何時間も熱中できるのかが不思議だった。

咳をわざとして、喉から血を出して、「家に帰ります」と先生に言うと、お前の考えはお見通しだと言われた。それ以来その先生の顔が見れなかった。大人になっても。

幼稚園にはめぼしいものは何もなくて、つるバラの巻いた鉄のアーチだけがとても綺麗だった。

 

 

ひどいいたずらっ子がいて、いつもわてを殴ってきた。あいつはひどくわてを悩ませていたが、もっと怖いボスがいて、わては毎日庭に出て遊ぶのもビビっていた。彼は乱暴で、砂場を荒らしては他の子と喧嘩をしていた。

こんなに怖い場所で過ごすのはわてにとっては時間の無駄であった。

キンダーブックなども雑多に置いてあったが、皆がいる場所で本など読めなかった。それに面白い話もなく、ゴリラや、ペンギンなどの写真がよく載っていた。

 

 

いつも先生に甘えている子もいた。あれは誰だったのか。先生の膝に顔を埋ずめてキャーキャー泣きまねしてた。園長先生が 優しくその子の頭を撫でてやっていた。他人の膝に顔を埋ずめるなぞどうしてできるのか?いくら幼いとはいえ、わてにはできないと思った。でもその子が羨ましかった。わては母の膝に泣いたことも甘えたこともなかった。子供の頃から自立的な性格で、世話をしなくても良いような子供だったから。

 

母はわてのことはどうでもよかった。自分のことでもなく何か他の事に心が持って行かれていた。

母の心はなぜかねじ曲がっていて、どこまでいっても迷路のような複雑さで、誰も母の本心がわからないと言う仕組みになっていた。真実は隠されていた!真実を隠すために複雑に作くられた要塞というものだ。その性格が、生まれつきであったのかさえもわからない。

 

それゆえ、敏感なわては甘えることさえできず、母も常にあやふやな接し方をし、目はいつも遠くを見つめていたのだ。日曜日は、大抵の子供は、「ママに甘えるらしい」と、どこかで聞き知った。わてもそれをトライしてみようと思ったのだった。

 

さっそく膝に乗って見た。肩に腕をかけてみた。きっとママは、世間のママのようにわてを可愛がってよしよしとあやすだろう。しかし母は、やはり上の空で、遠くを見つめていた。

哀しきわて。だが、わては難しい母を許すことにした。母がわてを愛してくれなくても、わては母を愛そうと 、いや愛することができるのだと、人間としてのプライドをかけて自分に誓たのだった。それも随分大人になってからだったが。