老醜を恐れる江口という主人公。しかし川端康成の顔見ると何か普通とは違う。大きなギョロ目の痩せて筋張った顔。老人でもなく、若者でもなく最初から老醜ただよう、そのような感じがする。
その主人公が老醜と言う言葉を使うときふーんと思った。ノーベル賞のスットクホルムでも、日本人の自分を貫いたのである。袴の正装で、大きなギョロ目がさらに大きくなっているのだ。
かなり無理矢理な感じがただよう写真である。着ようと思えば、おしゃれのセンスは高く洗練された川端であるから、良い洋服をいくらでも作れたものだろうに、彼には既に自由が許されなかったのだろう。
ノーベル賞というのはある意味手枷足枷の道具であるらしい。
ある不思議な宿があって、そこには数人の老人たちが出入りしていると言うことであった。
その噂を聞いた江口もそこへ行ってみることにした。
とても珍しいことが行われているのであった。
その宿に入ると、女の子が全裸で眠っていて布団に寝かされているのである。そこに老人が添い寝すると言う趣向である。
どんなことをしてもその女の子は目をさまさないのであった。それで老人たちはその鍵のかけられた部屋で好き勝手なことをして朝まで楽しむのである。
果たしてこのようなことが法律でも許されているのであろうか、と江口は心に疑問を持った。
しかしその魔法のような誘惑に勝つことができなかった。江口はその部屋に入って入った。
そこには色白で健康そのものの10代の女の子がスヤスヤと寝息を立てて寝ている。
江口は手荒い事はせずに、静かに女の子の髪の毛を触ったり唇を指で擦ったりしてみるのであった。
そのような夜が何度かあって江口もこの宿の初心者ではなくなっていた。
この宿の案内人は歳のいった女であり、何かしら意味ありげな素知らぬそぶりで、いつも江口を
部屋に案内するのであった。
よく眠っておりますから何卒かわいがってやってください。そんなようなこと言って下がるのである。
女の子はばったんばったん寝返りをうったりするものの一向に目をさまさない。強い眠り薬を飲まされている可能性があった。江口は眠りにつくときはその若い女の子の体を抱いて眠るのであった。
康成の女の子の描き方はすべて正確であり、女の匂いにむせる江口の気持ちもわかるのである。所詮女の子というものはそのようなものだ。
女将に江口が何か詳しいことを聞こうとすると気持ちの悪い顔になって何も答えてはくれないのであった。
まして女の子の歳やら素性やらは全くわからないのであった。
江口は特別に部屋に眠っている女の子は毎回違った女の子であって、年老いた老人にとっては、心からワクワクしたり心が華やいでいくのであった。
このようなことを繰り返しているうちに江口が関わった女の子が冷たくなっていた。これは確かに
死んだ者の冷たさであった。慌てて女将を呼んだが、何事もなかったように女将はその子運び出し、
何事もなかったように平静を装のであった。
読者は多分これは眠っているのは演技であり、本当は女の子たちは全員目が覚めていたのではないかと言うことである。老人たちが自分たちにやっている所業を全て見ている。そんな気がして、
どんでん返しになるのではないかとヒヤヒヤして読んでいくことになる。
しかしどんでん返しはなくただ女の子たちは本当に眠っていると言う設定になっておわりだ。
一緒に寝ていた女の子が死んだことによりこの話も終わりになるのである。
睡眠薬が常に登場するこの小説にはその後1972年昭和47年に川端康成自身が亡くなることへの予兆を強く感じるものである。 享年73さいであり、この歳は男にとって、それこそ越すに越せれぬ大峠なのであろう。