フランスのヌーヴェルヴァーグの旗手である映画監督の二人である。ふたりの映像と肉声が聞けるのが楽しみだ。
「勝手にしやがれ」とか、「気狂いピエロ」などの映画で、世界的に有名になったゴダール監督。それ以来何でもかんでもゴダールといえば、いっぱしの文化人だと思われるのである。
ゴダールを知ってないなんてはずかしい。教養人から外される。スッポコもそう思っていた一人だ。随分と以前に、これらの映画を見たが、ベルモントの演技が、やたらヤニ臭くて困った記憶あり。女は、やたらショートカットでさっぱりしすぎていて、ふたりの無理矢理感はひどい。。気狂いピエロの筋は覚えていないが、つまらなかったことだけは記憶にある。何か本当にチグハグなのである。
トリュフォーは、自身の映画より、スピルバーグの「未知との遭遇」で、宇宙人と交信する博士の役で出演したことで、その名を知られたといっても過言ではない。勿論フランスでは有名であったが、トリュフォーって誰だろうという訳だ。
「大人はわかってくれない」の監督である。これは伝説的な凄い映画でね。スッポコはこの映画を見て
本当におどろいた。だから、トリュフォーに軍配をあげてしまうんだな。
この人はつまり、ある意味天才と言える人だろう。なるほどだ。
ゴダールのように世界的な名声は持てなかったのだが、トリュフォーはコツコツと自分の映画を手作りしていった。
トリュフォー監督は、実は貧しく大学なども出ていないし、犯罪に手をかけて、二度もムショ入りを果たし、青春は真黒い時間を過ごした。しかしそれが返って幸したとも言えるだろう。
人生の底辺を経験し、そこから一歩一歩はいあがってきたのだ。彼には映画という光りがあったから、
やり直すことができた。
ゴダールは、裕福な良家の出で、外車に乗ったり大学に行ったりと余裕のある生活をしていた。
人間的には悪人ではないだろうが、ゴダールは政治に興味を持ち映画に対する見方が、トリュフォーとは違うはずだ。
ゴダールは、井上陽水に顔が似ていた。さすが良家のお坊ちゃんだ。
良家のお坊ちゃんがわざと、不良ぶってカッコつけて見せる、といった無理矢理感がほころびを生んでしまうのだ。
ヌーヴェルヴァーグがうまくいかなくなり、映画の動員数がガタンと減った時期には、二人は手を組んで映画を守ろうとしたのだった。ゴダールは大学出で見聞が広く野心家であったとおもわれる。
この映画の中で、ゴダールは民主運動のようなことを言っていたが、とても本心とは思えない。金持ちは、ほぼ本心を言わないものだからだ。
最終的に、二人は決別してしまう。お互いに傷つけるような手紙を出し合った。まるで、ゴーギャンとゴッホでございます。
ゴーギャンの絵も今ひとつ分かりませんけどね。なんかカボチャの切り口のような絵ですよね。黄色くて、茶色っぽくて。
彼らの映画を観ていると、ヨーロッパの社会は高度にシステム化され、細分化の文化のように見える。
それらが彼らを締めつける。
ゴダールとトリュフォー。ただお互いを知り尽くした二人にとって、歯に絹をのせたようなヘツライ(フラッター)は必要ないものであっただろうことは確かだ。