なになに、フクロウの話だって?シッショウタイリキという光のように早く飛べる仏様のことをフクロウたちは、疾翔大力といって、崇めておった。これは鳥類の仏であった。
元々はしがない雀であった。ある年大飢饉が来て、雑草さえも焼けてしまった。人間も森の動物も皆一様にひからびて死んでいった。 スズメが住んでいた家の母と子も死にそうになっていた。
スズメは、いえをとびたち、食べ物を探した。いつも優しい家の人間に恩をかえそうとおもったからだった。雀だってそんなことを考えるのだろう。樹木もきっとそう考えているのだろう。
それで、スズメは飛びに飛んでやっと木ノ実を三つを見つけるのだった。それを運ぶのに骨も砕ける思いで母子のところへ運んだのだった。そして我が身も捧げて親子を救った。
それ故、鳥の仏となった。二十六夜はこのような仏が3人集まり雲の上に あらわれる夜なのであった。
ところが一羽の子供のフクロウが人間の子供に捕まっってしまった。赤い紐で足を括られて逃げれなくなっていた。
森のフクロウたちは一同に集まり長老の坊さんフクロウを中心にして話し合った。
子供の父と母は心配のあまり心が乱れて取り乱していた。
数日後、フクロウの子供は帰って来た。だが、彼の足は折られていた。飽きて逃す時に、人間の子供が足を折っておいたのだった。
ひどいことをする、といって全てのフクロウが憤慨し、復讐を考えたのだった。
だが、坊さんふくろうが止めた。 「復讐をすれば、憎しみの連鎖はもう止まらなくなるのじゃ。
今日は二十六夜で、三人の尊い仏様があらわれなさる夜じゃ。」
そして本当に雲の上に現れたのだった。復讐は止んだ。
だがフクロウの子は死んでしまった。
夏目漱石の夢十夜とはちがいますよ。いま漱石生誕100年でもてはやされているけど、うーん。