角田は、紙の月などの映画の原作者だ。ただ、カクタと読むとは知らなかった。なんかひと時代前のネームでござるね。それにカクタって何だよ。、
ある素敵な団地に住む家族のおはなしである。園芸マニアのスッポコは早速見ることとなったが、セメントの上に土を敷き鉢を置き、いろいろな植物を育てている。けっこうおおきな木もあった。だがどちらにしても、ニセモノ、作り物っていう気持ちは免れない。この映画の家族の危うさを象徴しているのだろう。
主婦の小泉今日子は、旦那と長男、長女の四人家族で、うまくいっていた。子供達は高校生で、むづかしい年頃であった。旦那はサラリーマンで、普通にがんばっている。何よりの自慢は、このマンションを手に入れたことである。素敵な所であった。小泉は満足げに暮らしていた。ここは私のお城であると。
ところが、実は、旦那は浮気し放題だし、長男(かなりのイケメン)は万引き、長女はラブホに通う毎日だった。
何も知らないのはママの小泉だけである。
ある日、長男が連れてきた家庭教師はなんと親父の浮気相手の若い女(ソニン)であった。ソニンはなんかちょっとな、という感じの女だった。美しさもあやしさもなくバサバサのササミのような感触。まあそれなりに努力しているとは聞いていますが、若さだけのササミですな。
パパと密会しては足で踏みにじってりして、喜ばせているのだった。それに気づいた長男は、ますます親に反抗的になる。
この家族は、お互いに秘密を持たないというルールで動いているらしいが、全く逆すぎて、変である。そもそもそんなルールは、映画には初めから必要ないものだ。しかし、わざとこの幼稚なルールをはめてみたのは、まんざら不正解というわけでもない。なにしろ厚みのない物語なので、こういう額縁絵を狙ったのだろう。
全てがバラされて、ママはパニックになり、ママの心もバラバラになっていく。
母親との確執が中心的に描かれているが、確執とはこんな甘いものではない。ナイフで母親を刺そうとする今日子ママであったが。これは茶番だしなあ。一応ナイフ持たせればいいだろうなんてさ。
傷付いているのはこの世に今日子ママだけじゃあないし、もっともっと親のために傷ついている人々がいるのだ。フザケルナ、と言っておきたい。だって、京子ママは、子供の時、遊園地で、アイスクリームを母親とのほのぼのと食べていたよ。
スッポコには、いや、他の人にも、そんな甘っくるしい思い出などありませんから。
そういう点で、この映画には、真実味がないよね。
最後は、真赤な血のような雨が、彼女の庭に降ってくる。ザーザーザーザー降り注ぎ、彼女は真赤に濡れていき、大きな声で叫び始める。気が済むまでズットズット叫び続けるのだった。それは、今までの嘘つきの自分との別れの叫びであった。
その後雨は止み、家族たちが帰ってくる。花束を持って、皆がママの誕生日を祝うために。