というわけで、庶民の食事は贅沢と定義された。その他とても大きな梨やブドウも持ち込まれていたのだった。深沢少年はそれを見ていた。そのほか強情さや世間体の気にしすぎなどがある。
「おくま嘘歌」というのが第1章である。嘘つきの年寄りの話ではない。このばあさんはとても平凡な、働き者のひとだった。畑や鳥飼はおくまさんの仕事で一生懸命に働くのであった。年寄りの自分は、働かないよりもできることをして若い者に少しでも役立とうという姿勢であった。実際役に立っていたのだった。
娘の嫁入り先に時々行って、忙しい娘を助けてやろうともする。孫の守りを1日してやると、その日は娘が楽になるだろうからと、重たい孫をおぶって守りをした。孫は岩のように重い子で、肩がちぎれそうであった。だが黙って長い時間おぶってやった。娘に気をつかわせないようにというおくまのつましいやさしさだった。そして孫が重すぎて苦しいので、口から出まかせの歌を歌って寝かした。
その歌を嘘歌というのだろうか。
優しいおくま婆さんは憎めないほどに平凡で、器量も良くなかった。
おくまばあさんは小さい気づかれないような嘘をちょこちょことついた。小さな砂つぶ状の嘘なのできいたひともそれとさとらないのであるし、害毒のないものであった。
現代の都会の老人ならば、カルチャーセンターとかにめかしていく人もあるだろうがそんな馬鹿げたことで時間を使わないのがおくま流である。
おくまさんは家族からもだいたい愛されていた。病気になって寝込んでからも、死ぬ間際にも家族に見守られて息子なども泣くのであった。「もうすぐよくなって働くし、ソバもこねれるしなあ」とおくまさんはまた嘘を言って、72才で死んでいった。体が動かなくなったおくまは自分が80や90才だと思っていたそうな。
このような胸が熱くなるような女の生き様を描いた作品がならんでいるのである。スッポコはこのおくまさんがとても懐かしく感じられる。むかしの女というのはこのような人が多かった…。
深沢という人は、心根のいい人という印象である。育ちがいい人といってもよいが。