スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

庶民列伝 深沢 七郎 1970年 初版

ナナロウさんかシチロウさんかよく知らないのだが、弟が音読みでシチロウだろうと言っている。あの「楢山節考」の作者と言えば、たいていの人は(年配になるが)知っているだろう。あれは貧しい山村の話だったが、この庶民列伝も、農村を中心とした話で、スッポコとしては共鳴するところが大きい。きっとこれは実際の話か、いろいろな人から根掘り葉掘り聞いた話ではないかと思っている。モデルは農村ならどこにでもいる人たちだ。ほぼ一生涯働き詰めであるが、彼らにはある独特の特徴がある。この特徴が、深沢をひきつけてやまないのであろう。中には、「自分達は百姓じゃねえでごいす。」と言っていばっているのや、原爆を受けて、盲目になった女の話も悲しいことにその心根はもっともだと共鳴してしまう。
察するに、深沢は、真の農民ではない。都会人の部類であろう。そんな彼が外から客観的に見た農村の人々の生活や人生を書き綴った。彼らの生活の隣り合わせにいながら、代々の農家とは一線を引いたところで生きている。代々の農家とは何だ?恐らく血だろう…。
彼は「ラブミー牧場」という農場を作り、そこで暮らした。農業はなかなか大変だったらしい。そこで
いろいろなことを学んだ。農家の人たちに農業の指導を仰いだことだろう。ところが、驚いたことに、彼らはちゃんと教えてくれないのである。ここはスッポコの経験から出た想像だが、これが悪く言えば農民根性と言われるひとつではないのか。自分だけが得したい、というような狭い了見に、多分、深沢は驚いたことだろう。スッポコも、もう農家の人にやり方をたづねるのは止めた。こちら側が益になるような重要なことは教えてくれない。悪い時は反対のことを教えたりするので要注意だ!ここには特に「!」を出しておく。
ただ深沢はそんなことは言っていない。すべてスッポコの経験したことから想像で察していることである。
スッポコは、スーパーに行くとその野菜果物の量と種類の多さに驚く。こんなにたくさん誰が作ったのだろう。大変な労力を感じる。空恐ろしくなるのでそこで考えるのをやめる。だが、人々がどんどん野菜を買っていく。そして人々の胃袋に入るのだ。1つの野菜を作るにしても、とても手がかかる事なのに。人間存在の底辺を支える最も重要な仕事である農業は手がかかるために敬遠されているのだね。
スッポコは極力農薬は使わず、草トールはなおさら決して使わない。じぶんと家族のために汗をかくのはまあまあの喜びである。何より安心である。ただ今は種の問題からして、本当の野菜は育たないらしい。F1という種は問題があるらしい。詳しくは知らないが品種改良し過ぎなのだろう。
しかし寒村の米農家は悲惨だ。人手がないので農薬をまかざるをえない。そうでなくては成り立たないのだろう。
深沢は農薬農業についてもここで一遍書いている。
スッポコも米は作ってないのでそんなのを食べる。少し高いが減農薬のも食べる。でも危険そうな野菜は食べない。よその人が草トールを自分ちの野菜にジャブジャブかけているが、良くないなあとは思っても、直接には注意などできないものだ。それどころか余った草トールをウチの庭に撒かれるので困っているのだ。
深沢の書いた人たちは愛すべき「とぼけ者」とでも言うのか、温かみがあってすばらしい。学がなく、苦労してきた人ばかり。それを書くことは、爆発のような力である。そもそも書いたモデルになった人々自身の中に、爆発の力があったのである。おまけにこれはたいていの人が共通して持っている感情でもあるので可笑しさも増すというものだ。


庶民烈伝 (中公文庫)

庶民烈伝 (中公文庫)