スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

女方 三島由紀夫 1944年 より

佐野川屋 万菊は 美しい女方で 眞女方として舞台では不動の位置にいた。下っ端の役者たちは万菊に腰元のように仕える事を無上の喜びとしていた。
歌舞伎に興味を持った青年(増山)が大学(東大)を出てから、歌舞伎の舞台の裏方として働くことになる。
これは青年のたっての願いであった。学生のときから歌舞伎に魅せられ、なんとかしてこの世界の一隅にでも存在したいと常々思っていたからだ。歌舞伎の方もこの異質の男の熱意に雇うことを決めた。
そこには憧れの女方、佐野川万菊がいた。「女方は、中身は男である。楽屋裏ではきっと男の本性を出すに違いない。」そう思いながら、毎日楽屋裏で万菊に接し仕えてもいたのだが万菊は決して尻尾を出さなかった。いつもいつも女として暮らしていて乱すことはなかった。皆で弁当を食べる際にも、決して男のようにガツガツと食べず後ろを向いてそそとして音も立てずに食べる。このように、日常でも女のような仕草で暮らすというのが昔からの女方の伝えであり「あやめぐさ」というものである。
ある日、新劇の作家の作品を上演することになった。
歌舞伎のことは何も知らない新参者の作家(川崎)は、長めの髪を垂らした若い男だった。そして格好の良い服もよく似合ったいかにも作家といった変わった風貌であった。歌舞伎の現場からはかけ離れた浮いた様子であった。それでも彼は懸命に役者に稽古をつけた。皆がこんな新参者のいうことなど聞きたくないといった雰囲気の中なぜか万菊だけは、どんなな注文にも「はいはい」と動くのであった。
しかしなんとか無事に初日も終わり、やれやれといった夜に、増山は万菊に頼まれたことがあった。
「あの作家の川崎さんと、今夜一緒にお食事出来ないか尋ねてもらえないかしら」
なんと万菊は若い作家に恋をしていたのだった。あの壮大な無限の恋に生きる万菊が俗な恋をするなんて変な話だ。薄々と気づいてはいたがそう思う増山であった。娘道成寺雪舟の娘などを演じる万菊をみてきた増山であった。そのぞくっとする美しさを隈なく知っているつもりであった。
そして万菊はその夜小雨の降る中ふたりで相合傘でタクシーに乗り込むのであった。ここで終わっているごく短編である。三島の趣味でもある歌舞伎のことなので美しい精緻な文体が生き生きとしてとても楽しそうだ。花盛りの森の中の一編である。



花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)

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それを見送る増山の心は嫉妬ではないが、複雑であった。