スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

夜と霧 1947年 フランクル教授 (1945年終戦)

ホロコーストで何百万の人が亡くなったのだが、収容所の中で生き延びたフランクル教授は精神科医であった。そのため幾らか人間を観察することはできたのだが、あまりにもひどい有様だったため、ほとんど観察出来もしなかったのだと思う。自分ひとりを守ることにみながせいいっぱい。いや自分というものさえ守りきれない者も多数いたことはたやすく想像できる。ようやく認知したものを、肯定できないままひこずられて切り刻まれてゆく様な毎日を過ごしている。それどころか、助かるとおもってトラックに乗った人達は、みんなガス室おくりになった。乗り遅れて泣いている人たちは助かった。という様な皮肉な事ばかりがあった。いつ殺されるかもという毎日の時間の中でどうやって未来の希望が持てるものだろう。だが希望を持つことが大事だと人々にフランクルは力説してまわった。だが、
いったい何を信じて良いのか、いや信じること自体が不可能であり恐怖であっただろう。
人肉を食べるまでに飢餓にやられてしまう仲間。何よりも飢餓に苦しめられる人生にどんな意味があるのだろう。そんななかでも劇をもよおしたり歌を聞かせたりの演芸らしきものもあった。
この精神活動は必要不可欠なものになり、なけなしのパンと引き換えにでもこの演芸会に参加したがる人々が多くいた。
重い強制労働に少しだけの食物と極寒のために、体が弱り腸チフスが蔓延してとどまることがなかった。
作者のフランクルもチフスで苦しんだ。だが少し良くなると彼は医者なので、周りの患者をすべて診察していった。
ナチスドイツも収容所の中では医者に対しては他に者と区別して扱った。監視兵なども診察してもらうこともあった。たまにパンなども一つ余分に貰っていたかもしれないが、そんなことは書かれてはいない。トロトロしたりウカウカしているだけで、殺されるだろうことのある環境で、いったいどうやって暮らしてゆくのか。
とにかくフランクルは生き抜いた。心の中で常に妻のことを考えた。妻は本当は、もう死んでいたかもしれなかったが、妻と共にいると考えることだけが救いだった。架空の妻との会話は、宗教的なもののようにそこに実際の妻がいなくても、常に共にあるのだった。そこで生じた仲間たちの宗教活動も独特でとても内面的であったらしい。
彼は凍りついた土を掘る苦役の合間、監視が去っている間に妻と交流するのがつねであった。こうして精神のバランスを辛うじてて守った。
しかし、もともと彼はやはりずば抜けて強い精神の持ち主だったのではないだろうか。ただ彼はそうであると自慢をするわけはない。だがづっぽこはそうであったろうと強く感じる。また彼はあくまでも、「自分は人生の主役にはならない」というポリシーを貫こうとする。つまり人々を助けようとするのだった。抜け駆けは無しだった。かえってそれが幸いしたりもする。
助かるために焦って、逆に死んで行く人々をたくさん見たのだった。いや、見ようと見まいと、周囲は死人だらけであり感情も何も凍りつき枯れた状態であっただろう。
ただ有名なエピソードだが、「夕日がきれいだ」というのがある。内面的なあまりに内面的な精神が、壊れずに皆の心の奥に残っていたのであった。そういうものが救いの一つでもあった。

そのうち終戦は遂にやってきた。ドイツ兵らは、素早く私服に着替え、タバコを捕虜にさしだすしまつであった。連合軍にとらえられないための演技であった。
解放されても人々は、幸福とか自由とかいうものを感じることができなくなっていた。あんなに夢見た自由が今実現されたのであるのに、受けつけることができない状態が続いた。これはよけいにつらい絶望であったと書かれている。簡単にたて直しのできぬまでにかれらは奪われていた。
ただ「どうやってあの地獄の惨状を切り抜けて生きてこられたのか」ということが、不思議であったそうな。また彼らの経験したものを贖うものが、自由の世界には見つからなかったのだという。
最後は彼らはただ神に委ねる他解決がつかなかったと記されている。

人生の悲惨は、アウシュビッツだけではない。農耕中心の日本では横社会が発達し、ようしゃのないイジメもある。顔を見るのも嫌になる会社の人や学校の人。ただ皆がそのような社会でなんとか生きている。スッポコは 社会の荒波にも耐えたこともなく甘やかされて生きて来てしまった。なんとなく後ろめたいのである。自然が美しいと思うのはスッポコは幸せな時だけだ。とてもこの本のようにはいかないよ。

夜と霧 新版  

夜と霧 新版


映画「ライフイズ ビューティフル」や小説「黒パン俘虜記」でも捕虜のせいかつの恐ろしさがよく描かれている。また「夜と霧」の映画もあるそうだ。



















スッポコとは人間が違う。あたりまえだが。