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スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。映画の感想を書いていきます。(^o^)

映画 利休にたずねよ 1913年 山本兼一原作

市川海老蔵主演の「 利休にたづねよ」を観たよ。堺の色街で遊びにふける利休が高麗から来た囚われのお姫様と仲良くなった結果、お茶に目覚めるという設定だが、どうしてそうなったのかよくわからなかった。遊びふける海老蔵は、週刊誌にでているような雰囲気で幻滅するのが半端なく、見苦しい。

だが、茶坊主になってからはキリリとして見栄えも良くなるのである。秀吉のせいで、利休の娘は自害し、愛弟子も殺されてしまうのだった。利休の木像を門に立てた寺の僧侶も京都から追放されてしまう。そんなことも含めて
この映画は年代を追って場面が進んでいくのでわかりやすいかもしれない。また全体的に素人にもわかるような作りになっているため、武将のこと茶の湯のことなどがおぼろげにもわかったつもりになれるのがいいかとおもう。だが、素人にはこれくらいにしとけばいいでしょうという作者の人をバカにした態度が見え見えで、でこちゃんやは気に入りませんです。トウシロウだって、適当にかわされてるのはわかるのです。
まあよくできた映画で、海老蔵を持ってきた監督の手腕のおかげですな。映像もきれいだし、長次郎についても分かったしね。楽茶碗の陶工の名前だよ。
そうそう茶碗についてだが 、俗な人が持てば、茶碗も何故か、俗になるとおもうよ。つまりちゃわんは生き物ってことですよ。
茶碗は耳をそばだてて持ち主や、使い手の声を聞いているとして、悲しんだり喜んだりもしてるのです、といったら言い過ぎであろうか?
北野の大茶会も利休が万事気を配り演出したはずである。人々は利休の手前を一目見ようとおしよせていた。青空の下の茶会は美しいものであったろう。だが、小さな茶室ではそうはいかないのだ。
 
秀吉と利休にしても小さな茶室で、茶器に関しても人生に関してもあれこれ諍いやあつれきがあったであろうことは否めない。
実母が茶の湯も習ったこともないのに、お客が来るとすましこんでお茶を入れていたのを思いしている。茶というのはなにかしら勿体(もったい)があるということなんだろう。
でも今、手にとってみて、これはいいものだなあとおもえる茶碗ががひとつだけあった。茶碗は手にとってみないとよくわからんものだ。重さとか、手のひらに収まる具合とか飲み口の厚さも重要ではないのか。
茶道は お金持ちの道楽という面もある。謙虚さのない人がお茶をやると、動物の虎がお茶をたてているような状態になり、目を背けたくなるようなけったいな化け物たちの茶会になる危険がある。でこちゃんやはそんな人たちをみたことがあるのだ。利休の茶は 飾り気もなくしずかだったであろうか。
静かで目立たない人たちもいて、彼らはとても静かであり、部屋の空気のようであり、みじんもおしつけがましくもなく、故にすばらしいのである。
 
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利休にたずねよ 通常版 [DVD]