スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

嗤う分身 2014年公開

この前弟と見たドストエフスキーの「二重人格」を基にした映画。ただもう書くネタがなくなったでこちゃんやの苦肉の策だ。でもこれ何十年も前に読んだんだ。(自慢、自慢^ ^)  原作は変わった話だが主人公がかわいそうなのは原作と同じで上手く描かれてると思った。本は読み進むにつれて、訳が分からなくなり迷路に迷い込むようになっている。複雑で何度読んでもわからなくなっている。映画ではさほど複雑ではないが、確信に食らいついた怖くなる演出だった。だんだんと追い詰められてゆく主人公をみていると、本当辛くなるんだ。会社からそして社会から無残にも葬り去られようとする人間。

ついにかれは自分の分身を自ら生み出してしまう。幻覚である。誰にも見えないのだけど、もう一人の彼は世の中を世智に長け、スイスイと泳ぎまわって要領もよい。原作では同僚に、「あれは親戚の者だ。または、大自然がうみだした瓜二つの人間であろう。」などとうそぶくが、同僚には見えないから「ああそうかね」と相手にされないのだった。彼は必死にこの分身について周囲に知らせようとするが、見えないものは見えない。
会社ではかれはゲートの検問でさえ、なぜか通過できず毎日苦心惨憺している。かれはまるで存在をしていないような人間として生きていくことを強いられていくのだった。そして分身が見える自分が、精神に異常をきたしているということには、ほとんど気がついていないのだった。これこそが異常者の証拠であった。女も出てくるが、これは原作にはなく、ただ地下室の手記に基づく脚色と思われる。いや原作にも綺麗な上司のむすめがでてくるが、貴族のような身分らしくてとても主人公が近寄れる存在ではなかった。大きな舞踏会も催されていた。ここで主人公にとって最大最悪なことが起こるのだった。!クライマックスとでも言えるかのう。うんうん。
映画では女を誘って会社のパーティーに出ようとしたが、またしても不運に見舞われて、行くことができなかった。というよりも門番に入れてもらえなかったのだ。なぜだ。ナゼだ 。何故だ!!。
誰にでも少しは経験したであろう、バツの悪い経験。ありえないアンフォーチュン。かれはそれを百人分ぐらいも引き受けてどんづまりになってしまうんだ。
主人公に、「ソーシャルネットワーク」のジェシー ・アイゼンバーグが心弱い若者を演じている。
かれは悪い人間ではなく、むしろ心優しい若者であるのだ。毎日まじめに働く、わるだくみなどできるはずもない、いわゆる善良な勤労青年。それだけのものだ。だが、なぜその彼にこんなおそろしい、まあ、身の毛もよだつような、身をよじるような不運が舞いこんだのであろう。だれも耐えられる訳がない。主人公にマジ同情して顔が引きつるでこちゃんやであった。
脚本は「ミスターロンリー」を書いた人との共作らしい。ロンリーもおもしろかったが悲劇っぽいものだった。この嗤う分身も、わらうの文字が変わっていて、恐ろしさを出している。ドストエフスキーが練りに練って世に出した二作目の問題作である。映画でもロシアっぽい雰囲気が出てたな。
暗く ガランとした空間がうまく使われていて。ご愁傷様。!
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嗤う分身 [DVD]

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