スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

憂国 三島由紀夫著 1961年(小説) 1966年(映画)

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川端ノーベル賞 1968年間  三島切腹1970年。 左写真は、映画「憂国」で、三島主演である。

三島の作品は切れ切れにしか知らないが、かなり読み易い文章で、わかり易い。ただ「金閣寺」はこ難しくなかなか読めなくていまだに完読できないでいる。弟の勧めだったか、短編だから、すぐ読めるときいて、つい読んでしまった。「ああー」とため息がつく作品であった。ある意味苦しい作品であった。
憂国を発表してから4年を経て、自衛隊に演説して、死にました。日本の多くの人々がテレビに釘付けで、経過をみまもったものです。彼はさかんに「4年前にもういちど日本は生まれ変わってビシっとするべきだと訴えたが、諸君たちは日本を変えようとしなかった。サムライの魂をわすれたのか」と言うようなことをいっていた。
私は十代前半だったが、変わった人がいるものだとおもい、変な事件だと思った。そして一人で死んでいったので( 実際は数人を巻き込んだが)安心したというのも本心だった。しかし特異な事件であり、昨日の事のような感じがしてなまなましいのである。やはり切腹というものは日本人の魂を揺さぶるものである。
彼は国民、いや自衛隊の全ての人が自分の小説を読むとおもっていたのだろうか。小説憂国
2・26事件の後、仲間から呼んでもらえなかったことを不服に思い、じぶんも彼らの後を追うことを決意した青年将校のはなしであるが青年といっても結婚したばかりで、それはそれは美しいお姫様の様なおんなと夫婦になっていた。ふたりは仲睦ましく生活していたが、まだ子供はなかった。
男は死ぬ覚悟を妻に告白し、妻も一緒に死にますと誓い合う。もうこのあたりから狂気に満ちていて、誰をも寄せ付けぬ三島独自の独壇場となる。身の毛もよだつ様な切腹の一部始終である。
彼はその日のためにこの小説で切腹の具体的すぎる細いシュミレーションをおこなっていたのだ。
チョンマゲ時代に逆流してしまった三島は頭脳優秀な男であった。しかし不幸なことに、色々なことが重なって最悪の筋書きができあがったのだろう。とても痛ましいことである。
切腹のとき腹に刀を刺すが、体は死ぬまいとして、刀を押し出そうとすると書いてある。
なるほどと思う。腸が飛び出して膝の間にトグロをまくとかいてある。なるほどそうだな、とおもう。
最大の苦痛と戦いながら、死に切れないと悟った彼は、刀の前に身を投げて死をとげたのであった。
それを見届けた妻は、自分も短刀を身に刺して、あと追おう。今おもいだしても、身の毛もよだつ話であり、狂気であろう。またなぜ切腹なのかも疑問だが、時代復古のショウとしては最高の見せ場だろう。こうして三島はじぶんから、自ら散っていってしまったのだ。もう誰も彼を生き返らせる人もなく、また手立てとてないのである。
 

 

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