スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

自転車泥棒 1948年 イタリア映画

この映画をはじめて通しで見れたので表彰します。ハイ!戦後70年だが、終戦は1945年で私の姉が生まれた年である。広島に応援に行った医者から、8月で臨月の母は、「広島はおそろしい地獄でした。」と聞いたそうだ。イタリアでも敗戦国であり国のなかは混沌としていたようだ。職を求めアリのように職安に群がる人たち。アントニオもやっとのことでポスター張りの職をえたが自転車がないと許可しないと言われて、自転車を買う。お金がないので本当に必死の思いで手に入れたのだ。

その大事な自転車を浮浪者のような若者に
盗まれてしまう。アントニオの「泥棒!ドロボウ!」の声は、胸をつくものがある。自転車がないと、家族が食いっぱぐれてしまう。潰れてしまう。やっと見つけた安定した仕事だったのに!家族手当も付いている仕事なのに。彼には奥さんと幼い子が2人いるのだ。家族を食わせねばなるまい。
それで6歳のブルーノという長男をつれて町中を歩いて自転車を探す。なかなかみつからないが犯人に似た青年をさがしだす。青年の家も貧しく生活は苦しそうだ。無駄足ばかりで、疲れていく子供とアントニオ であった。若き修道僧たちの群れと会うが、かれらはこの世から守られており、食べることに苦しんでいなかった。ただアーメンと唱えておればいいのだから、楽な商売。ココは結構なみせばだとおもうが、どうだろう。僧たちは栄養が行き届いたハイブリッド若者達の集団であったのだ。
「クソ!」と自転車を探しまわる運命の主人公はおもったのだった。
とにかくこの映画は暗い感じでつらくて気の毒で、見て居れないといった事が起こってくるからら困りものだ。。それでずっと通しでみれなかったんです!というのはウソ!ほんとうはちょっと単調すぎて退屈だっただけだ。しかしこの映画の評価は現代でも高いはずだ。人間生活の土台骨である金銭はその人の人生をも決めてしまう。夢見がちな人間は生きては行けないのではないかという人生否定。いや夢と希望はコレコソ人間の根幹だ。二極の間を大きくブランコのように揺れ動くフリコ。それこそ、主人公はどちらを取るかの選択を迫られているかのようにみえるというのが私の意見だ。生きてゆく為の健全な神経が削られていくような心細さ。なぜ彼はこんなに苦しむのか。それこそがこの映画の醍醐味である。仕事をするということは、家族を食わすということは、などの問題が、肩に重くのしかかるのである。それよりなにより、一つ間違えれば、全て失ってしまう。そんなおそろしい事が生きるという事だと言わんばかりであるし、実際にそうであろうよ。そうであるとも。それでとうとう人の自転車を盗んでしまい、直ぐにつかまる。警察ににつきだされるところを子供の泣き声で許してもらうのだった。自分が自転車泥棒になってしまっては、しゃれにもならないではないか。強い恥らいに子供の顔も見られない父を、子供はそっと手を差し伸べて、手をつなぐ。子供の方がきがきくようだね。
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感心なのは映画がとてもうまく運ばれていて、お腹が空いて二人が入ったレストランが、なんかとっても場違いで、足を踏み入れた途端、アッというかんじで固まってしまったりとか、庶民ならだれしも経験したような事が、うまく取り入れてあって、すごいなあと思う。お金持ちたちがゆっくりと食事をするようなレストランに、お腹がペコペコの貧乏くさい二人がはいってきてキョロキョロするなんてかわいそうだ。お金のことで苦労するのはほんとうにつらいものといったところか。

 

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