スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

東北の思想家 安藤昌益1703-1762年

秋田藩の大館では度々飢饉が起こっていた。飢えて死ぬのは貧しい農民で、武士は飢えることもない。

オホーツクからのヤマセ風がふく北の地で昌益は無名のまま膨大な論文を書くのだった。
死後も長年無名のままであった。彼は地主の裕福な家に生まれ、町医者となっている。本心はわからないが、貧しい人を助けるためであったろう。
以後彼は徹底して無神論、無政府主義(アナーキー)、 平等主義を貫くのである。しかし地主の家の者がなぜ、そのような激しい思想に走って行ったのかは謎でもあろう。かれは地主のお坊ちゃんである。どこにそんな激し思いが生まれたのか?かれの思想は、「自然真営道」と言って実際に土を耕し、手足を土で汚し汗を流して耕すという「直耕」のみが真実の生活である。と説いている。地主は本来米を作らない。田畑を農民に貸して 代金として米などを取るである。かれの思想とは真反対である!
お釈迦様も、キリストも、中国の孔子先生もみんな土を耕すことなく「不耕貪食」であるとケチョンケチョンにやっつけまくっているのである。上記のだれもかれも農民が汗してつくったものを乞食のように食べているだけとはっきりといっている。乞食と同じと歯に絹を着せずにはっきり言っている。
かれは孔子孟子などのこともとても勉強してよくしっている。かれの論文はすべて漢文で書かれていて知識のほどをものがたっている。こんなに勉強していたら、かれじしんが直耕出来ていないのではとの疑問がうかんでくる。ブッダと寺の僧はたしかに耕さない。キリストも同じ。孔子も立派なことを言っているが耕さない。みんな人類の偉人であるが。なぜ彼がこんなにも耕すことにこだわったのか。
孔子は、ニックネームを孔丘といって頭の骨が、中程が凹んでいて丘のように盛り上がった部分があったといっている。この頭の陥没は立腹しない性格であると。なぜなら、内臓も下がっていてとうてい怒ったりしにくい体質で生まれてきたと。それを偉大だなんて世間は言つている。土で手をよごさないで、恵んでもらった食物で生きている人間なのに、といった具合である。昌益の家の者たちも、鍬など持ったこともないだろうに、自分の家との対決でもあるのだ!かれはほんとうはなにがしたかったのか。ほんとうは家をそんなにもにくんでいたのか、農民を全部自分の味方にしたかったのか。得もないのに!農民にあこがれたのか。彼の家は地主で農民から米を貢がせていた身分の者なのに?!
ほんとうは謎が深く、彼の本音は見えにくい。カネモは本心をなかなか言わないものだし、親との激しすぎる確執があったのか。
そういう事はなにもわからずじまいでおもしろくないな。こんな変り者で偏屈者は他には存在しませんです。北の詩人といえば宮沢賢治がいるがかれもまたおかねもちのぼんぼんだったが、農民の味方になり体をこわしてそれが元で亡くなっている。あんまり慣れないことをするものではないな。
追記… 悲しい事にわたしも農業の真似事をしたが、ニワカなので だめでした。残念。

 

忘れられた思想家〈上巻〉―安藤昌益のこと (岩波新書)

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