スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

hide 50th anniversary 「junk story」 2015年

HIDEは1964年と言う、東京オリンピックの年に生まれた。その頃は高度成長期の頃で、働け、働けと、日本人が勤勉を妄信していた頃である。皆様にも覚えがあるであろう。

 

本名は松本秀人、といって、ごく平凡な日本人の名前であったが、思春期になるとエレキギターに入れ込み、いっぱしのロッカーの様になって行く。

 

もともとこれだけの才能を持っていた人だ。天才的なロック芸術を開花させる。

映像を見る限りこれはまさに驚きである!

 

X JAPANのメンバー出会ったが、解散後、色々なグループを順次作り活躍して行く。つまり彼はxjapanを脱退してから、ロッカーとして、新しいグループを作り、ボーカルをやった。

 

声は繊細で、美しいと思った。メロディーに乗って歌っていて全くぶれない、この本物の歌唱力を

高く買いたい。

彼は、いつ、一体どうやってこういうものを手に入れたのだろう?

 

彼のコンサートに行った人々は、限りない楽しいメロディーや 歌詞(日本語なのに   何を言っているのかわからないが)

や、またその群を抜く奇抜なファッションに酔いしれたのだった。

ファッションについては、これは、また別物で、息を飲むと言うか、目がランランと輝いてしまう様な魅力的なものであったのだ。写真集「無言激」 と言うのもあるが なにせ熱いフォトとなっているようだ。

 

HIDE 無言激―ヴィジュアル&ハードショック写真集

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OFFICIAL BOOK hide BIBLE  hideを愛する全ての人へ贈ります

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hide SOLO TOUR 1996 PSYENCE A GO GO

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全てにおいて日本でトップのものであった、とスッポコは思う。と言うか、観客を魅了し、彼らの心を癒したそのいわゆるサービス精神たるや、だれが思いつき、また真似ができるであろうか。

peace ,love と言ったややこしいことは言わずに、ただ、愛を渡そう(give)とする彼。

 

ただ彼の持つ魔術的なものについては関係者は、不思議すぎて分からない、と口を揃えて答えている。

 

 

スッポコは、長い間、hide の存在を知らなかったのだが、偶然にテレビに出た映像が、あまりにショッキングだったために、興味を持ったのだった。

それは、黒いバンドを、口と額に縛り付けた恐ろしい姿のままで、狂おしく歌う姿であった。

 

 

 

今もやはり懐疑的に思ってはいるが、人を喜ばすと言う職人魂には脱帽である。

我々に夢を与えた人である。生きていて良かったと思った若者も多数いたと思われるのだ。

  psyence(サイエンス) a  go go ,     HIDE with spread beaver、   pink  spider      ja  zoo(ヤ ズー)    というロックグループを作っていくのだが、順次アメリカへの進出を考えて、アメリカのLos・で活躍の準備にかかった。zilch(ジルチ)   3・2・1と言うレコードをリリースしたのだが

日本のロックが、日本語の歌が、アメリカでも十分通用するものと、彼は踏んでいた。

彼ならできたであろうと思う。彼のアートは、ヨーロッパやアメリカのロックスターを既に超えた場所にあったとおもう。。

ただ、契約の面で、食い違いが起きている。

アメリカも、やはり、忖度の国だろうから、コネが少し足りなかったのかも。

 

さてこのhide 50th  anniversaryは、グループの仲間だったミュージシャン達が、hide の思い出を話して行くと言うノンフィクション記録映画となっている。

身近で彼と接した人々の話はやはり証拠となる。なんの証拠だろう…。

 

特に、実の弟が、彼のマネージャとなり ただ1人、心を許せたと言うか、素の自分が出せるただ1人の弟であった。

弟は今も、hideのミュージックに携わっており、ファン達の気持ちに応えようとしているという。

1998年のhide の死について、葬儀の際のファン達の悲しみを見て、とても心を動かされた、と述べている。

なんとかならなかったのかと、いまも悔やんでいる。

 hide は、天才らしく、若くして亡くなった。hideは名前に小文字のhを使い続けた。

伝説のミュージシャンの熱い足跡を今更辿るのは、でも意味があった。

 

 

hide 50th anniversary FILM「JUNK STORY」 [DVD]

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Run & Go Hide the Dub

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近代能楽集 三島由紀夫著 1968年

葵の上では、光(源氏)が、病院のベッドの上にいる葵の見舞いにやってくる。

その病院は、性的病院であり、看護師や、医者や医院長まで、互いに交わって楽しむという、なんともトンデモな、病院であった。リビドーの処理のためだという。うへー、そんなことがあるのと、おどろく。

そこへ、六条の宮康子が、黒い装束でやってくる。

ヒカルは私のものだ、この葵という女には渡さないぞ!と、えらい剣幕で言う。

苦しむ葵の上にかぶさって行く康子であった。

 

その内、康子の家に電話したところ、眠ってお休みになっておられますと、女中が答える。

では先ほどの女は誰であろうか、康子ではなかったのか。そこへ、再び、康子が黒い装束でやって来る。

不思議がる光の前で、葵は、もがき苦しみ、ベッドから落ちて死ぬ。

 

これは三島の筋書きだが、現代版に変えられていているぐらいで、ほぼ原本の通りである。

 

生き霊の恐ろしさが、凄まじさが、源氏物語で語られる。源氏物語でも、夕霧を生んだ後に葵の上はやはり死んでしまう。

 

人の妬みを買うことは、実は、本当に怖いことなのだ、と紫式部は説いている。

 

また熊野(ユヤ)では、桜の美しさと愛人のユヤの女の美しさがダブルになって、日本的美を歌い上げた美しい作品となっている。

桜の儚さと、雲のような花に包まれる春のこの時、解説はプロフェッサー のドナルド。キーンである。

 

だが、三島は自分の才能に逆襲されたかのようにこの世を去る。

頭脳明晰、溢れる文才、に恵まれ過ぎて彼自身の内部に起こった葛藤、或いは凡庸な。、いやらしい矛盾を解決する事が出来なかったのではないだろうか。

彼が、時折見せる素顔には、どうしようもなく平凡な面がある。そこが面白いと思うんだけどね。

 

 

 

これを機会に、他の能楽も調べてみると、芸能の宝庫であった。

隅田川など泣いてしまいます。子供をさらわれて、狂女になってしまった母親の話であった。

隅田川の渡し舟の船頭が、あの有名な狂女なら、狂ったふりをして見せねば船に乗せないよと言ったりする。子供の墓に辿り着き泣くが、きっと仏が母親の心をすくってくれることであろう。

 

 

 

 

近代能楽集 (英文版)  -  Five modern Noh Plays

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近代能楽集 (1968年) (新潮文庫)

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能楽 卒塔婆小町

久しぶりに、能を見たので、報告。

国の無形文化財の人が、卒塔婆小町になって、舞っていた。

小野小町が、すごく年をとり、99才にまでなっていた。宮中にも務めていた小町は、美しさと、才能で もてはやされ、日本中で有名になったが、老女になってからは醜く老いさらばえ、酷い有様で物を乞いながら歩く乞食(コツジキ)になって彷徨っていた。99という数字は、無限を表す。

死ぬに死なれぬこの身、というわけだ。こうなっては、まさに生きるも地獄であろう。

 

高野山の僧が二人、京へ向かって行くところ、仏がまつってある卒塔婆の朽ちた根元に腰かけた老女を見て、卒塔婆に腰掛けるのはよくないと説教を始めた。

老女は次々と哲学的な比喩を言い放ち、僧たちをギャフンと言わせた。

私はかつて小野小町といい、美貌のために、男たちを手玉にとって苦しめた、と告白し始める。

特に深草少将が小町に恋をして最後は狂死にしたと。

彼の恋の怨念が小町にとりつき、何やら狂乱の様へとなって行くが、やがて、夢から覚めたのごとく、

僧の前に頭を下げて、仏の悟りへと精進することを申しておわる。

ここで、僧と出会ったことが、彼女の狂った運命を浄化し、再生を誓う。

 

とにかく動作がゆっくり過ぎて、100才近い老婆ゆえに、なおさらのろいので、もうどうしようもなく、ゆっくりで現代離れしてはいるが、能とは、大体、現実の仕事雑用から離れたところに遊ぶもにであろうから、これで良いのだろう。だが、いつまでも話が進展しないので、まいった。

三島由紀夫の「近代能楽集」の、卒塔婆小町は、サバサバとしたドライな老婆であり、とても対照的である。

三島は、歌舞伎や、能楽に入れあげていて、自分で、脚色した現代劇を作ったのだ。

 

 

 

 

チキンラーメンの女房 あんどうまさこ

安藤仁子ことあんどうまさこは、チキンラーメンの生みの親、安藤百福(ももふく)    の妻であった。

大変な波乱万丈の結婚生活において、まさに夫を支えて立っていた。

 

家庭内のこと、そして、夫の仕事のこと、いろいろありすぎた。

チキンラーメンも、発明後はまがい物が360件以上も出て来たので、会社はそれの対処にも大わらわであった。

小さい時から何度か貧乏のために、引っ越しもして、女学校も、勤労しながら家の食いぶちを稼ぎ、何年もかかって卒業している。なかなかの家柄の子孫でもあったが、お金の苦労がついて回った。

だが、明るく丁寧な人間性を買われて良い職にも恵まれた。

 

本当は、いろいろなことがあったのだが明るく、前向きに生きようとした。

そんな人であった。

 

 今となっては、何が幸いしたのか、検討もつかないが、破産して悪口を言われているお父さんでさえも、まさこの味方に動いたといえばその通りであったろう。

 

最終的にはまさこは信仰に頼った。観音様を手厚く信仰し、心の拠り所とした。

趣味もたくさんあった。

多分彼女の周りには、色々な人々が行き交って関わりを持ったことだろう。温かみのある彼女の人徳であろう。

 

信仰で、心に栄養を送ることは孤独な修業でもある。夫を立てて、自分は家庭を守る、

古いことのようだが、それができたのは幸せなことでもあろう。

有り余る自由時間?の中で、自分を高めることは人間として当然の責任と思う。

 

また、彼女の立場であれば、信仰も当然の事であると思える。

時々ごたごたする家庭の出来事もあり、

騙し合いのような企業戦略に巻き込まれる中、何を信じて進めば良いであろうか。

 

まさこという女傑から見習うべきもは、本当のことを言えば、まだまだありそうだ。

 

 

チキンラーメンの女房 実録 安藤仁子 (単行本)

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