スッポコ谷の楊貴妃

もうすでに還暦女子。すっぽこだにで瘀血と戦ってます。ホテルの換気扇が嫌いすぎて旅行できないのが悩み。

ラッセルの幸福論 1930年

ノーベル賞ラッセルは、早くに母親を亡くしたために、厳格すぎる祖母に育てられた。街を見下ろせる高台のお城のような家で。

なぜなら、ラッセルの家は、二度もイギリス首相を出した名門中の名門といっても良い家系であった。

彼は1872年に生まれ、1970年で98歳という高齢であの世へ旅だった。幸福論は58歳の時である。

 

こんな家に生まれたら絶対、疲れるやん! しかしラッセルは数学から身を立てて、哲学へと進んで行く。

彼独自の道であっただろう。

家の家風には相当悩まされ、抵抗したらしいが、なんせ重すぎる足枷、手枷である。

アランで傷ついたわては、さらにラッセルに助けを求めたが、やはり、ここでも滑った。テヘ。

 

「ねたみ、競争、家庭  疲れ、退屈、興奮」などおよそ人間の基礎になるものについて、論じている。

 

特にねたみは、この世を滅ぼす元にもなる恐ろしい悪魔の根の様なもので、色々なものが絡みつき、やがては国も滅びることもあるのだと。

このねたみは人間特有であり、持ちたくなくてももってしまう厄介なものなのだ。

また、家庭についても、現代の女性は、子供を育てるのに苦労があり、少子化になっていると指摘している。昔は大抵お手伝いさんとか家政婦とかが普通の家庭でもやとわれていて、家庭の育児や家事の戦力となっていた。が、現代になるに連れて、それが有効ではなくなった結果、少子化になったと、ある。召使いの制度が残っていたとしたら、少子化は止められていたのか。

いやいやそんなはずはないだろう。

 

そしていずれは子供がいなくなって 都市もなくなり、人間がいなくなるかも、といっている。

これは極論であろうか?

いまの大都市が消え去ることは現実に起こりうることの様な気がするのは、スッポコだけではないだろう。長年の恨みつらみも押し流されてきれいになることであろうから。だが待てよ。綺麗は汚い、汚いは綺麗と、ブッダシェークスピアも言っていた様な。特にブッダは、この世に、きれいな清浄なものはない、また汚れや汚いものもないと、説いている。

スッポコ個人としては、実は、この世に飽き飽きして疲れているので、街や人がいないさっぱりしたものになって欲しい。そうすれば、悪いことを企んでいるであろう悪い奴らもこの世から消え去るからである。

 

悪者たちの企みも、結局は泡と消え去るのだと思えば、胸がスッとするではないか。

 

この世から大都市が消える。この夢想は、ちょっと時空を超えたものだし、結構気に入っているのだ。

よくない考えであろうかな。

 

彼はアインシュタインと協力してラッセアインシュタイン宣言をだし、水爆などの戦争に反対もしたが、戦争に手を出したイギリスの行く末を心配したのだと思う。イギリス人の御多分に洩れず、恩知らずのアメリカをバカにもしていた。イギリスから出航して、アメリカを手に入れたいわゆるアメリカ人は独立に際し、愛国心とか言ってワシントンはじめ偽善者だときめつけている。小川仁志の解説本も参考にした。

 

ラッセル『幸福論』 2017年11月 (100分 de 名著)

ラッセル『幸福論』 2017年11月 (100分 de 名著)

 

 

 

 

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

 

 

 

たけしの 座頭市 2003年 北野武監督

ずいぶん前の作品だけど、なぜ見なかったのかは、やはり、ミュージカル仕立てだと見たくないのである。たくさんの人が揃ってタップを踏む映像が何度か出ていたので、てっきり全編ミュージカルだと思ってしまったのだ。踊るのは、最後の最後のみであった。あとは普通の映画だ。

まあ、たけしの力作であろう。楽しんで見れたし、面白かった。場面の変わり方が、とてもうまかった。

たけしは本当は目は見えたということだった。

ストーリーは弱きを助けるものなので わかりやすいものだ。

衣装監督は、山本耀司で、渋く、出しゃばらない着物姿に仕立ててあった。流石かな。

血が飛び散る派手な立ち回りで、殺人強盗の影の親分まで炙り出してやっつける。

スッキリする。

匂いと、風と感の冴えで なにもかも識別する座頭市は、すごいなあ。

杖の振り方も、目の見えない人に成り切って演じていた。

 最後のタップダンスは、よく揃って、着物にゲタばきという何十人もの人々の踊もとても面白いと思った。そこには喜びが湧き上がり、溢れているからだ。体を動かすことの楽しさ、こんなふうに踊れば、糖尿病も寄り付かんだろう。

 

映画コンテストでなぜ賞がもらえなかったのかは、ハテナ?であるが。

 

 

座頭市 <北野武監督作品> [DVD]

座頭市 <北野武監督作品> [DVD]

 

 



 

 

ボブ ディラン ノーディレクション ホーム 後編 2005年 マーティンスコセッシ監督

ボブディランの軌跡のドキュメンタリー映画で、マーティンスコセッシは、ディランがノーベル賞を(2016年)取ったことを、本当にびっくりしたことであろう。または、さすがわしの目の付け所はちがうと鼻を高くしたであろうか。

ボブの家族写真はない、パパ、ママ、ブラザー、どこ行っちゃったの?

いや暗殺されるから、隠れて暮らしてるんだ、とわての主人がのたまう。なるほどね。ちょうどケネディーが暗殺された数日後に、ボブのツアーが、現場ダラスの街で催された。

ステージに上がるメンバーらはすごくビビっていたそうだが、ボブと一緒に命を捨てる覚悟でステージに上がったと証言している。

 

ボブが初めてこの世に出たころは、フォークという音楽をやっていたのだが、後半はだんだん変わって来て 何を歌っているのかも聞き取れない早口のようなものになっていた。

メロディーもそこそこついいている程度だ。

blowing   in the wind   は大ヒットして世界中に彼の名は響き渡った。

御多分に洩れず、社会批判の歌、反戦の騎手などと祭り上げられて行く。

彼は特別そんな気持ちで歌を作っていたわけではなかったろう。

たた偶然、たぶんだれかの故意で、そんな風に言われるようになってしまったのだろう。

 

 

タンブリングマン   (mr.   tambourine  man)の頃の彼は、容姿も若々しく声にも艶があり、それは良かったのだが。

この曲も、宿なしの男の話だ。このあたりまでは付いて行けるが。

like a   rolling stone   にいたっては何をか言わんやというものである。

ある金持ちのお嬢さんが一文無しのスッテンテンになるまでを描き、how do you feel ? と畳かかけて聞くというものだ。たった一人で行く宛ても、帰るころもない君よ、という訳だ。

the rolling stones という本当のグループが旋風を撒き起こし、ユニークな形で世界でうごいていた。

わては、このThe Rolling Stonesの歌かと思ったぐらいだ!。

 

 ディラン、彼は、金持ちや、経営者を、とても毛嫌いして、歌で、対抗しているのだ。

逆に宿無しであることを誇りにしていて、自分と同じ境遇になってみろと挑発をする。

これは由々しき、またいかがわしきものである。

ユダヤ人は国を持たない民族であるらしい。しかし彼とても、彼等とても、大金持ちで、家ぐらいあるだろう。

強い戒律と、絆に守られた民族、イスラムほど自由が縛られてはいないが、食事の面でも、バランス大丈夫と思える節もある。

この民族は昔から芸達者であったのではないのか。彼らの芸は、群を抜いていて、目立つのである。

そうしなければ、生きて行けなかった。大きな資本主義からは馬鹿にされ、はみ出し者であった。

その長年の恨みをボブディランは、歌で、まあ芸術かな、で晴らしたというものだろう。

彼の歌はそういう、彼の内部から出たものであるが、それが資本主事の歪みを攻撃し、社会的といわれた所以であろう。ただこの彼の歌詞にに賞を与えてもな、という向きはある。

彼はただ民族の不遇を歌にし、それをヨーロッパなどが、お詫びとして、賞を与えたと言い換えても良いだろう。

 

漢字や熟語は弟に尋ねながら書きました。

 

ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]

ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム [DVD]

 

 



 

 

 

 

 

裸の19才 新藤兼人監督 原田大二郎主演 1970ねん

若い原田が、集団就職で東京に出てきた若者の一人を演じる。

東京の都会の力に流されて段々と崩れて行く生活、他の仲間たちも、ほぼ夢破れ、故郷へ帰って行くものが多かった。故郷というのは、東北地方がおもであるが。

しかしなぜなのか。何がいけなかったのか。

巷では大学生らがデモ行進を繰り返す中、原たちの集団就職組は、そんなデモとは無縁であり、贅沢なものであった。そのギャップは大きいものであった!

中でもこの主人公の原は、永山則夫がモデルであり、貧困ゆえの厳しい家庭生活、家庭の破壊を、味わってきた。学校にもろくにいかずに中学卒業後、東京に出るが、仕事場ではうまくいかず、辞めてしまい、なぜかどんどん崩れてヤクザの出入りする店で働いたりするうち、警官のピストルを盗み、次々と

人を殺して行く。お金を持たないため、タクシーに乗っては運転手を殺していく。

とうとう捕まって監獄に行くが、ニュースは母親に迫ったりして、大騒ぎであった。

母親も貧しさゆえに子供をたくさん抱えながら、必死に働き、そして子供らを愛したのだ。

それでも、貧しさが全てを破壊して行くのだった。何が悪かったのか、何が、彼らを破滅へと流したのか。

社会か、政府か、人間の心か。

かくして永山は死刑囚になったのだが、裁判では幾度か、育った過程にを鑑みるということが行われてきた。字も書けない彼は、監獄で勉強し、本も書いた。(無知の涙)

立派な家庭に育っても、犯罪を犯してしまうのが人間だ。

永山は我々の身代わりとも言える壮絶な青春を駆け抜け、そして死んで行った。

 

無知の涙 (1971年)

無知の涙 (1971年)